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【 大峯修行体験記① 】:役小角と修験道の謎。

先日ありがたいご縁を頂いて大峯修行に参加させていただいた。想像していたのより100倍キツい内容だったけれど、幸い怪我も事故もなく無事に帰ってきた。そもそも登山自体が初体験にも関わらず、ありがたいことこの上ない。

「死ぬ」という感覚からあまりにも遠ざかっていた日常生活にあって、この体験は本当にかけがえのないものをたくさん教えてくれた。
不思議な体験もたくさんしたけれど、それはさておき修験道という宗派に触れること自体も生まれて初めてで、好奇心がめちゃくちゃ刺激された。
実際に体験してみて、もっと深く知りたいと思った。
気になったこと、具体的には以下の4つ。

1. 開祖の役小角ってどんな人?
2. 金峯山はなんで黄金の峰の山なの?
3. 修験道の根本教義ってどんなもの?
4. 城崎温泉寺も熊野修験の影響が色濃いけど、どんなつながりがあるの?

さっそく色々調べて「役行者 修験道と海人と黄金伝説(前田良一著)」という絶版本に行き当たった。
プレミアついててちょっとお高かったけど買って読んでみた。色んなことがつながってめちゃくちゃ面白かった。
わかったことを以下に順番にまとめてみる。

■1. 役小角ってどんな人?

役小角の本名は賀茂役小角。
上賀茂神社、下鴨神社で有名な賀茂一族。
生まれは奈良の葛城山とされている。
葛城山の名前の由来は朝廷に逆らう先住民の土蜘蛛一族を葛で作った網でトラップをしかけて一網打尽に虐殺したことでこの名前がついた。

この一族がなぜ土蜘蛛と呼ばれたのかというと、山に住み岩穴を住居として生活していたため、穴から這い出てくる様が蜘蛛のようであったからだという。
神武東征の際に道案内をしたことで有名なヤタガラスは土蜘蛛の一族と言われているが、地の利を知り尽くして道案内をしたというのもうなづける話だ。
土蜘蛛も一枚岩ではなく、朝廷派と反朝廷派に分かれていた模様。ヤタガラスは朝廷派の土蜘蛛だった。

また、ヤタガラスは賀茂建角身命の化身とも言われているので、賀茂氏のルーツでもある。
つまり、役小角は賀茂氏=土蜘蛛一族の末裔であると言える。(個人的な見方やけど、ヤタガラスが3本足の神鳥として描かれるのは、山歩き用の杖(錫杖)を足のように器用に操った山伏の姿から連想されたものなんじゃないだろうか。カラス天狗はカラスの頭に山伏の装束やし、そもそも天狗は山伏そのものやし…)

「備前国風土記」によると、この土蜘蛛の名は海人にも向けられたらしい。海人は当然、造船を行う。造船には防腐剤として辰砂(硫化水銀)が不可欠で、辰砂は鉱山で取れる、という流れでつながっていく。
つまり、土蜘蛛とは移動する海洋民族の総称であったと考えられる。
その証拠に修験の本山である吉野、熊野には海神を祀った寺社が多く点在し、本堂蔵王堂には巨大な船を描いた絵馬が掲げられている。

「日本書紀」によればこの海人族は安曇の一族であるという。
安曇氏の本拠地は九州福岡の志賀島である。
この志賀島には歴史の教科書に必ず出てくる「魏志倭人伝」の中で中国の光武帝が送ったとされる金印で有名な奴国があった。
また、「魏志倭人伝」には、安曇海人族と同じ九州で勢力を誇ったとされる宗像海人族についての面白い記述がある。
「男子は大小となく皆黥面文身、以て咬竜の害を避く。」
男達はみな竜の刺青をしていて、水難を避けようとしているというのだ。
吉野の竜門岳、竜門寺の名前はこの竜神信仰から来ている。
修験道本尊の金剛蔵王権現は湧出岩の岩場から現れ、「竜の口」という巌窟に吸い込まれていった。
ここでもまた竜だ。

角小角のルーツは九州海人族の末裔で竜神信仰を持っていたのは確実だ。
海とは縁のない山岳修行をする山伏が南方の海でしか採れない法螺貝を吹く理由もこれで説明がつく。
色々スッキリした!

◽️余談:「お亀石踏むなたたくな杖つくな避けて通れよ旅の新客」の謎

大峯修行をしていて気になったのが「お亀石」
役小角が悟りを開いた場所とされ、色々な伝説が囁かれる神秘岩である。
安曇一族の出身地である志賀島の志賀海神社に祀られる安曇磯良は亀に乗って現れたとされ、境内には「亀石」が祀られており、ここでも符号が一致する。

◽️余談2: 全国の地名はわりと山伏がつけてまわってる。

滋賀県は志賀島、安曇川は安曇族、ナガツ、ナカツ、那珂、海部、安満、天草などの地名は山伏のルーツ、九州志賀島や航海術由来のもの。
植民地の地名を母国の地名になぞらえるみたいな感覚でつけている模様。
山伏の行動範囲の広さはほんとにすごい。

と、とりあえずここまで。

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