ゆるぼうvol.014 東海豪雨災害(2000年)〜宮城県北部地震(2003年)
▶災害VC・災ボラネットが機能するまで
三浦「前回までのお話を聞くと、2000年の2つの噴火災害を契機に、災害ボランティアに関わる団体のネットワークが機能し始めたようなイメージなのですが、その後、それらのネットワーク組織はどのような動き方をしていたんでしょうか。何か課題が生まれたりしたんですか?」
宮﨑「現場レベルで機能していると実感できたのは2004年の中越地震の時からかな。例えば、同じ2000年の9月に起きた東海豪雨災害(通称)では、名古屋市内のように支援ネットワークが機能していた地域があった反面、IVUSAが活動した岐阜県上矢作町(現 恵那市)では、町長をはじめ地元の消防団、青年団が自衛隊の支援を受け、孤軍奮闘していた」
三浦「体制自体はできていたものの、災害ボランティアの偏りが生まれていたり、後方支援の調整が十分に働いていなかったということですね」
宮﨑「当時21の市町に災害救助法が適用されたんだけど、支援する方もされる方も大いに混乱したし、情報の交通整理もできないまま復旧作業を進めていかざるをえなかった、というが実態じゃないかな」
三浦「翌年(2001年)に起きた広島で起きた芸予地震の時はどうだったんですか?」
宮﨑「呉ボランティアセンターという地元の中間支援組織が平時から活動していたんだけど、発災時にもここが拠点となって災害ボランティアの差配をしていたね」
三浦「平時の支援組織の存在がいざという時にも活きた災害だったんですね」
宮﨑「呉ボランティアセンターさんからはいまだに会報を送ってくださったり、2018年の西日本豪雨の際にも連絡を取ったりしているね」
三浦「そのようなつながりが続いているのはいいですね」
宮﨑「2003年に起きた熊本県水俣市の水害地では、地縁組織がしっかり機能していたこともあって、そこがボランティアの差配を担っていたし、同じ年の宮城県北部地震で被災した地域は、住民同士の助け合いが強く外部の支援がなくても共助で成り立つようなところだった」
三浦「外部の支援ネットワークを必要とせずとも、復旧活動を行えたところもあったわけですね」
宮﨑「現場で一緒になった団体同士の連携はもちろんあったけど、後方支援という意味でのネットワークの必要性を感じずに取り組めていた時期だったかもしれないね」
三浦「そして2004年が来るんですね...」
▶『Youth for the Resilience』とは
東日本大震災から10年となる今、私たち若者が自らの大切なものを守るための「備え」と「行動」を身につけることを目的とした「若者の災害対応力向上キャンペーン」です!
#Y4R
▶『ゆるぼう(ゆる防災)』とは
Y4Rキャンペーンの取り組みの一つで、 「調べれば分かるけど、そこまでじゃない話」をコンセプトに、事務局の宮さんと三浦が防災・減災に関する様々なテーマについて話し合うシリーズです!
今後も「防災袋に入れておくべきものは?」「避難生活時に気をつけるべきことは?」などなどのテーマを予定しています!
▶会員向け災害対応力レクチャーのお知らせ
私達一人ひとりが取るべき避難行動は生活圏・居住環境によって異なります。
この災害対応力レクチャーでは、IVUSA職員の宮﨑が、実際にあなたが暮らす地域や居住環境で必要な災害への備え、被災時行動をレクチャーします!
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事務局 三浦 慎爾
担当プロジェクトは天竜川鵞竜峡復活プロジェクト/印旛沼クリーン大作戦/カンボジア教育支援活動。公式SNSの担当もしています。
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