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コミュ障に関する持論と会話泥棒

僕は人見知りである。

新しい環境に身を置くとなかなか自分から他の人に話しかけられないし、話しかけてもらっても素気なく返してしまうことが多い。高校や中学の頃は仲の良い友達グループではよく喋る方だが授業中やクラスで何かを決めるときに積極的に発言したりはしないいわゆる"陰キャ"である。

そんな僕だが自分はコミュ障ではないと思っている。

静かな人や話しかけると少し焦ってしまうような人をコミュ障という人が多いが僕が思うに本当のコミュ障は話しかけても無反応か反応が薄い人、もしくは自分ばかり話す人である。

前者はいいとして後者についてはこういう人をコミュ障と言う人は少ない。少なくとも僕の周りには僕しかいない。
ではなぜこういう人をコミュ障だと思うかというと、コミュニケーションを取れないからである。

例えばこんな例がある。

僕が「昨日IKEAに行ってきたんですけど…」と話しはじめると「IKEA」という単語だけを拾って「私IKEAすごい好きなんですよ、こないだ行った時は…」と僕が話す前に話し始めてしまう。
そして自分が話すことに夢中になってしまい僕が話そうとしていたことなど忘れて満足するまで自分の話をしだすのだ。
聞いている間にこっちも話す気は失せているし、もう一度話題を振るとまたどこかで単語を拾われてターンを盗まれる可能性があるのでなかなか話しにくい。

こんな会話泥棒とでも呼ぶべき輩が僕の周りには一杯いる。

この泥棒に限って「お前もなんか面白い話してよ」とか「今日の飲み会めっちゃ盛り上げたわ〜」とか言い出すのだ。おそらく場を盛り上げて自分のおかげで周りの人とコミュニケーションがとれた、と思っているのだろう。

だがこれは逆に壁を作ってしまっているのだ。
相手の話が長すぎてこっちはもうまともに聞く気がないし、こっちから話題を出す気もない。これでは相手のことは嫌というほどよく知ることができるがこちらの情報は一切相手には伝わらない。一方しか喋らないなら人形と喋っているのと同じでそれは会話ではない。コメントを拾って自分が話し続ける生主の方がまだ会話が成立している。

しかしこれの最も恐ろしいところは、側から見ると会話が盛り上がっているように見えてしまうことだ。
片方はめちゃくちゃ喋っていてもう一方は笑いながら話を聞いている。確かに仲が良さそう、なんかあの2人いい感じ、なんて言ってしまいそうではある。
窃盗の被害者と加害者なんか仲良くなるはずがないのにあろうことか犯罪をきっかけにお友達からはじめましょうなんてことになってしまうのだ。

こんな人を「マシンガントークが面白い!」なんて言う人もたまにいるが、結局は内容と状況次第だ。ラジオを聞いて面白いと思えるのは自分は話そうという気が始めからないし、内容もそこそこ面白いものや興味のあるものを選んでいるから聞いていられる。そういう人も自分が話し始めてすぐ発した単語に反応して話を盗られたら「話長えなこいつ」と思うだろう。

こう考えると普段は静かでこちらから話しかけないと黙っているが話しかけたらそれなりに喋る人はコミュ障ではなく単に自分のターンを見極めて待っているだけの人である。とても賢明だと思わないか。自分の欲望に任せて安易に犯罪に手を染めたりしないのだ。

そして僕がなりたいのはこんなことをいちいち気にすることなく自分の話したいことを満足できるまでどんどん話して周りの人に笑ってもらって気持ちよくなるタイプのコミュ障だ。
そっちの方がはるかに幸せだ。多分今更なることはできないだろうが。

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