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おれの日常

上京してきて、間も無く一年が過ぎようとしている。何の気なしに第一志望から流れて入学した大学ではあるものの、周りの人に恵まれながら忙しくも充実した日々を送っている。

そんな大学一年目を振り返るとなんと言っても真っ先に思い浮かぶのはサークル活動だろう。自分は英語劇のサークルに属しているが、この劇作というものが実に奥深く、魅了されてしまった。時間的制約やお金、単位などなど様々な犠牲はあるものの、同時にかけがえのないものも手に入れている。(ような気がする。)

この数週間、世界中が未知のウィルスによって混乱状態に陥っている。自分の所属する団体も例外ではなく普段通りの活動を自粛することを余儀なくされてしまった。すると自分の中である変化があった。劇作活動に対してのモチベーションが一気になくなってしまったのだ。当初は予定していたプランが崩れたら誰でもやる気はなくなるだろうと考えていたが、周りの人と話したり自己内対話を重ねるうちに自分と周りの人たちとのある考え方の違いに気付いた。

自分の周りの人には“劇作を打つ”ということに目標を見出せる人が一定数いるらしい。自分も本来そうだったはずではあるものの、元々ディレクターをやりたかったほど劇を作ることに楽しさを見出していた自分が気付けばその目標だけで活動に意味を見出せなくなっていたことに驚きを隠せなかった。

“俺何のためにモデルやってんだろう”最近よく思ってしまう。少し個人的な話になってしまうけれど、そもそもモデルスキットというのはすごく扱いの難しい行事だ。4大の劇作とは訳が違う。みんなが明確にプライズを意識してプレパをするわけでもなければ、劇が良いものになればそれが正義という風にも言い難い。一人ひとりのモチベーションをしっかり維持して“一年生を感動させる劇”というような不明瞭で達成したかどうかを図ることが極めて困難な課題に対して劇作初心者集団の大学生が力を合わせて立ち向かわなければならない。文字に起こすと恐ろしいことをやっているなあとしみじみ感じる。

いっそのこと三ヶ月間本気で漫才とか考えた方が楽なんじゃないだろうか。金もかからないし。ミーティングするだけで毎回毎回ミラノ風ドリア食ったとしても一週間で2500円くらいにはなっちゃうわけでしょ?結構笑えないよ?まあ今日稲田が2500円赤から奢ってくれたんだけどさ。大学生ってお金の使い方が荒いよね。それが大学生の本質。イデアなんだよ。

だけど多分ディレク陣で食べたミラノ風ドリアのお皿を重ねるとそろそろ大気圏くらいには到達すると思う。大気圏に到達するミラノ風ドリアの皿を想像するとクソ笑えるし、もしも西口のサイゼの外人の店員さんが大気圏まで積み上げたドリアの皿を片手で持てるのだとしたらそれはモデルスキットを打つことよりも何倍も何十倍も努力して得た成果<GP>なんじゃないかな。彼女の中ではね。

結局GP取ったところでその凄さは伝わらんしモデルが成功しようがしまいがサイゼの店員さんには関係ない。サイゼの店員さん的にはモデル打ってほしいだろうね〜。だって俺とかおとはミラノ風ドリアだけじゃ止まらないからね。サイゼに一回行っちゃったら最後、胃袋が4次元空間にアクセスされてその空間ってのは連続した平面上に位置するもんだからもう大変よ。食べ過ぎて膨張した胃袋が裏返しになってサイゼを飲み込み、街は焼け、大地は裂け、裂け、さけ、サケ、、、、さけ、、、、、、?

酒!酒!酒!酒!心が酒(浴)びたがってるんだ‼️

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