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本物の恨みを見た気がする。---ダンプ松本「ザ・ヒール」

いやはや、なんとも恐ろしいものを見てしまった。

ダンプ松本はもう還暦だという。しかも一度引退しているとはいえまだ現役である。本書はそのダンプ松本の自伝だ。

僕はマッハ文朱から始まる全女(全日本女子プロレス)の隆盛をリアルタイムで見てきた世代なので、当然極悪同盟を率いたダンプ松本の全盛期もよく知っている。とにかく徹底した悪役ぶりで、観客を怒らせるという点では男のプロレスラーでもこの人を超える悪役というのはパッと思いつかない。ファンクスに対するブッチャー・シーク組なんかはそれに近かったかもしれないけど彼らにしても絶対的なヒールとして君臨し続けたイメージは無い。

最近は僕自身も含めて世の中の空気的に何かに対して本気で怒るということがめっきり少なくなっていて、うまい例えが見つからない。プロレスの出来事から拾うならば、両国国技館にたけしプロレス軍団を率いて登場したビートたけしが買った観客の怒り。あれくらいの本気度の高い怒りを観客に抱かせ続けた、しかも丸4年間。こんなヒールはなかなかいない。

そんなダンプ松本なのだからどれだけ凄惨な人生を歩んできたのかと期待して購入した本書だったが、意外と内容はあっさりとしていてずっしりと読み応えのある内容とは言い難いものだった。確かにろくに働かず金使いの粗い父親を死ぬほど憎んでいたとか、いじめにあったとか、あるいはプロレスラーの下積み時代の苦労があったのはわかる。しかしその父親とて娘を殴ったり強姦するような人ではなかったようだし、下積み時代の苦労や悪役として売れてからのエピソードもレスラーの自伝としては物足りない。同時期に活躍したレスラーについても長与千種と大森ゆかりに触れた程度。取り立ててヒール論が語られるわけでもなく、極悪同盟の活躍にあれだけ貢献した阿部四郎など名前すら出てこない。この本にあの熱狂の日々の追体験を求めようとすると肩透かしを食らう。著者の話の引き出し方が下手だったのかダンプ自身が語りたくないと思ったのかはわからないが、女子プロレス史を語るような書籍でないことだけは確かだ。(ついでに書いちゃうと写真のキャプションもめちゃくちゃ。いくらなんでも長与千種とデビル雅美を間違えるってのはない!)

ただそんな本書でも、なぜダンプ松本が特別な存在になり得たのか、そのヒントは垣間見ることができる。彼女は自分のパートナーを2度切り捨てている。極悪同盟のクレーン・ユウと桃色豚豚の大森ゆかり。理由は「一緒にいると共倒れになる」と感じたからだという。まず相手の駄目なところを見切る力が凄いし、それを自分から相手に伝えて良い形で袂を分かつというのはなかなかできないと思う。「売れる」ということに対して明確な物差しを持っている人、という印象をうけた。

そしてまあ、最後までもったいつけてしまったけれど、何が恐ろしいってダンプの母の存在だ。自分勝手なダンプの父親に嫁ぎ、恨みを抱きながらも添い遂げた母親の生きざまがとある数枚のイラストに刻まれている。写真に写るダンプの母親はとても柔和で穏やかな顔をしている。しかし彼女が旦那に内緒で書き続けた日記に記された彼女のイラスト。よくまあダンプもこれを出したと思うが、自分の亭主の墓の絵である。これはもう本当にすごくて、言ってしまえば僕は「型のある怨念」もしくは「手で触れることができる恨み」というものを初めて見た気がする。ひょっとして自分の嫁がどこかに僕の墓の絵を描きつけていたら、想像するだけでぞっとする。

この母親の血がダンプのヒールの資質にどんな影響を与えたのか具体的にはわからないけど、4年間ヒールとして君臨し続けることができたのは、間違いなくこの母親の耐える力を受け継いでいたからだと思う。彼女の後にヒールとして登場したブル中野、アジャコング、井上京子、北斗晶、コンバット豊田、シャーク土屋、イーグル沢井、みんなどこかでヒールから「良いレスラー」「凄いレスラー」になっていってしまい「悪いレスラー」でなくなってしまう。観客の怒りに火をつけるよりも目を覆うような大技で観客をヒートアップさせる方向に向いてしまう。多分プロレス界の流れがより健全な方向へ導いたのだと思うけれど、一方で「悪いレスラー」でありつづけることはとても難しいことなのだということもよくわかる。「そりゃあ馬場さんみたいになれたらいいけどさ」と言ったブル中野は観客の度肝を抜くような試合を連発し身体を酷使して引退した。それも素晴らしいレスラー人生ではあるけれど、その一方で還暦をむかえてなおヒールの道をまい進するダンプの姿を見ると、この娘にしてあの母親ありだなと、つくづく思う。

単行本 1,540円 Kindle版だと1,386円、本物の恨みを見たい人にお勧め。

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