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牛乳の白さ

 「牛乳と豆乳だったらどっちが好き?」と聞かれれば、迷わずに豆乳を選ぶ。買い物に行って買うのはいつも豆乳だ。牛乳が嫌いなわけではない。給食の牛乳はきちんと飲んでいた。休んでいる人の分のおかわりをすることはあまりなかったけれど、誰も飲まないなら飲むよ、みたいなスタンスだったと思う。

 けれど私は、たまーに、ものすごく牛乳を欲するときがある。わざわざ小さくて割高な紙パックの牛乳を買うときがある。牛乳を手に取るとき、(豆乳じゃないんだよ、この気持ちは豆乳さんには押しやれない気持ちなんだよ)、そんなことを思いながら、高い高いと思いながら、結局は買ってしまう。大きなパックで買えばいいじゃないという声も聞こえる。そうじゃないんだよ、小さなパックがいいんだよ。そうやって私はこの前も牛乳をコンビニで買ってしまったのだ。

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 どうしてそこまで牛乳を欲するの? と聞かれれば、まあ飲みたいから、と思ってしまうのだけれど、その味以上に、昔読んだ文章が影響しているのかもしれないと、ふと思ったのだ。

 私が小学生や中学生のころ、ボーカロイドの曲のノベライズが流行ったことがある。私は友達の影響もあってボカロをよく聞いていたから、本も気になって読んでいた。そして、『桜ノ雨』という曲のノベライズ本を私はどこかで買って、今も実家にある。引用したのは、最初の方の、本当に何気ないシーンの文章だ。

アタシはコップに注いだ牛乳を一気に飲み干した。(中略)冷えているから、頭の中まで白く染まる気がする。
(halyosy原作・原案/藤田遼、スタジオ・ハードデラックス著『桜ノ雨 僕らはひとりじゃない』より引用)

 この文章が、ずっと、頭に残っていた。きっと、「牛乳飲んだとき、頭の中まで白く染まったこと、私はないなぁ」と思ったから、大学生になった今でもずっと記憶に残っているのだ。

 たぶん、この文章を読んでから、私は牛乳を飲むとき、この記憶が頭をかすめるのだ。そうやって、何回も何回もかすめた今、牛乳が無性に飲みたくなるときは、きっと「頭の中まで白く染まりたい」ときなんじゃないか、と。

 自分が何かに悩んでいるとき、どうすればいいか見当もつかないとき、そういうときに牛乳を飲むことで、一度頭をすっきりさせたい、その白に染まりたい、そんなことを無意識に思っていて、牛乳を買うのではないか。最近牛乳を買ったときは、疲れているときだった。その疲れを一旦リセットしたい、そんな気持ちで牛乳を手に取ったのかもしれない。

 その本の、何気ない一節。それが、私の中にずっとあること。文章の中の出来事として扱われていたものが、いつの間にか私の現実世界で起きていたこと。不思議でたまらないけれど、きっと私はこれからも、その一節と、牛乳の白さに助けられるんだろうと、ふと考えたのです。

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