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『竜とそばかすの姫』を見て

 暗闇から、何かが見える。どんどん近づく。その詳細が、目では追えないほどの細かさが、迫ってくる。心臓の鼓動がドラムロールのリズムと共鳴していく。視覚を、聴覚を、四肢の感覚を、その映像に委ねる。映画を見始めたのではなく、Uの世界に入ったのだと、教えてくれる。

 映画『竜とそばかすの姫』を見た。上映が始まり、最初の方のシーンでもう、私は思ってしまった、「マスクの替え、忘れてきたわ」と。何度も涙があふれた。元々映画では絶対泣く方だけれど、それにしてもボロ泣きだった。

 以下、ネタバレを含みますので、まだ見ていない方はお気をつけください。

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 すずがはじめてUに入り、ベルとして歌うシーン。聴衆を気にせずに、ベルは歌い続ける。それに対して、よい反応を示す人もいれば、嫌悪感を抱く人もいる。表現するというのは、よくも悪くも、誰かに影響を及ぼすことだ。本質をつく音楽はそれ自体が刃であり、人を癒す魔法なのだと思う。人によって触れる方向が違うだけだ。

 イユとして、一個人として、発信することは多い方だと思う。私は最初の記事でも書いたけれど、表現することが本当に怖い。それはきっと、自分の弱さを見たくないからだろう。表現を否定されること、イコール、自分を否定されるような感覚をずっと持ち続けてきたからこそ、今、様々なところで表現をして、それを克服しようとしている。私はこれまで、たくさんの表現によって生かされてきた。これ以上生きていたくないと願った夜も、どこかの誰かが作った歌に身を委ねて、布団にもぐった。だから、私も表現をしてみたいと、自分の弱さを認めることができる人になりたいと思って、イユやGaitouをしている。

 そんな私に、ベルの歌唱シーンは刺さりすぎた。何かを表現すること、何かを始めること、それ自体が人々の感情を揺さぶる。善意もあれば悪意もある。嘲笑もあれば羨望もある。それでも、ベルはきっと、歌わずにはいられなかった。現実世界で許されないことを、許されるUの世界で、歌わずにはいられない。

 いつだって苦しみはすぐにどこかへ帰属してしまう。言い訳であったり、何かの理由づけであったり。だから、表現する。苦しみを確かに自分のものにするために。すずの母が自分の信念で子どもを助けようとしたこと。それに対して、名前も知らないどこかの誰かがとやかく言うこと。すずはどれほど苦しんだだろう。「なぜ母は自分を置いて行ったのか」その問いでさえつらいものなのに、非常識な世間の声は家庭に土足であがってきて、自分の価値観に結び付けて何かを言う。愛されていた記憶、愛してくれた母のことを、ただでさえ信じることが難しいのに、その母を悪く言う誰かによって、すずは歌を歌えなくなる。――愛してくれた人を踏みつぶされ、私はどうやって生きて行けばいいんだろう?

 そして、家庭内暴力を受けていたトモとケイ。ケイの叫びに、私は息が止まりそうになった。「助ける助ける助ける助ける」―――「そういって、結局何も変わりはしない」。そんな世の中、恨んで当然だと思う。私は安心できる場所がどこかにはあるから、こうして表現が許されている気がしているんだ。きっと、トモとケイには、それがない。表現の仕方だってわからない。どうすればいいかわからない。世の中は助けてくれない。自分が悪いのだ。親が悪いんだとしたら、いったい自分はどこへいって、なにをすればいいのか。

 世の中に、そういった立場にいる人がいることを、私は知っている。それなのに、私のこの身体は小さすぎて、手も半径1mも届かなくて、歩いて行ける場所も少なくて、体力もなくて、誰かを助けることなんてできないことを痛感させられる。お金があれば? 名声があれば? 私にもっと、力があれば? いや、違う。私は私の弱さを認め、表現していくことが、きっと誰かの弱ってしまった気持ちをほんの少しでも撫でてあげることにつながるんじゃないかと、なんとなく思う。

 ラストのシーンには、賛否両論があると、映画を見た後に知った。私も、見ているときは「東京のそんな家庭のところに、すず一人で行かせるなんて」と思った。けれど、帰りの総武線の中で、私は気づく。ああ、それをネットに書きこんでしまえば、すずの母を責め立てた、あの声と同じなんだ、と。

 「増水した川に飛び込んで子供を助けようとするなんて、自殺行為だ」。「家庭内暴力が行われているところに、しかも高校生一人で東京に行かせるなんて、どうかしている」。すずも、すずの母も、言われていることは同じなのだと思う。それが、映画の中で行われているすずの母と、現実世界で、実際にレビューに書かれているすず。

 自分を犠牲にしてでも助けたいと思うのは、間違いだろうか。間違いだとしたら、どこの、誰かが決めた「間違い」だろうか。目の前に守りたい人がいる。目の前に、助けられるかもしれない人がいる。目の前に、今にも死んでしまいそうな、人がいる。そのときの行動なんて、何が正解で、何が間違っているかなんて、あるのだろうか。

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 感想を書いてみたけれど、言いたいことはこれだけではなくて、それでもこういう言葉でしか言い表せない。それがいつだってもどかしい。けれど、またこの映画を見た私が、この感想を見て、「あのときの私はこう考えたんだ」と思うときが楽しみだから、残しておきます。 

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