感性を描写する

 「あ、これいいかも」。そう思って、Twitterを開く。140字に収まるように文章を作って、投稿する。そんなこと、当たり前にできると思っていた。

 私には、それができなかった。

 話したいと思ったこと、誰かに伝えたいと思ったこと、それらを発信することが、私はとんでもなく苦手だ。投稿しようとする手が止まった瞬間、私は考えてしまう。本当に、いいのか、と。

 日常生活で誰かと話すときも同じだった。自分の本音を伝えようとするとぼろぼろと涙があふれてしまう。泣きたいわけではないのに、相手を困らせたくはないのに、涙は流れる。そうして流れる涙を目にした相手が、態度を変えるのが私にとっては悲しくて、自分の内側にある気持ちを話すことを恐れるようになった。まるで、私に表現が許されていないみたいで、苦しかった。

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 ”イユ”は、感性の再認識というコンセプトをもとに、いろんな表現に触れた私の記憶を記録していく場所だ。私の活動をまとめた場所になればいいなと思っている。けれど、私は本名でTwitterもしているし、noteも一応ある。本名での場所があれば、そこでやればいいという意見はもっともだと思う。その方が、圧倒的にわかりやすいから。

 けれど私は、本名で自分の内側にある思いを伝えることはできない。どうしても現実の、肉体を帯びた私と、ネット上に存在する本名の私がリンクしないからだ。本名で活動する私は、いわゆる外の顔で、私のすべてを話しているわけではない。かといって、イユが私の内側の顔をすべて話しているのではなく、私の感性の部分を結晶化したものになるのではないか、と予測する。

 私は、イユを通して、私の内側にある感性を見たい。本名であれば、どうしても私の肉体が伴って、対外的に見られたい私を作ってしまう。そうではない場所を、作ってみたいと思った。現実の私でも認識できなかった感性を、再認識できるところ。

 毎週金曜日。“イユ”を更新していこうと思う。いつまで続くかはわからないけれど、どうぞよろしくお願いします。

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