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17時を回る秋葉原は、金曜夜ということもあり人が多かった。大勢のうちの一人として、横断歩道を渡る。 どうしてそんな秋葉原に来たかというと、現像した写真を取りに来たからだ。初めてのフィルム現像。どんな写真ができているか、ワクワクしながら店に向かった。 · · · きっかけは、夏の帰省。少し様子が変わった家の中、私の部屋は荒らす人がおらずきちんと片付いていた。本棚の上に、ちょこんと置かれた黒いものがある。気になって手に取ると、それはカメラだった。 こんなカメ
幸せってね 規準がないにもかかわらず 考えれば考えるほど思い描いちゃって 具体的に表してしまうと遠のいていく物だと思うの この動画を見たとき、私ははっとした。概念とは、基準がないものだ。具体的に表せば遠くなってしまう、確かにその通りだと思ったのだ。 基準がないのに、私はいつだって迷っている。どうすればいいのか、どうやって動けば正解なのか、その答えはないことをどこかでわかっていながら、動けない理由を探し出すようにして、具体的に表しては投げ出してしまう。こうはなれない、と
最近、一人でどこかの街をおさんぽするのが好きだ。いいカメラを持っていくこともあれば、お買い物とかの目的で立ち寄ることもある。 その土地の空気や、人の流れ、どこにどういう植物があるのか。全体の風景として見た印象と路地裏に落ちている缶といった詳細の印象――そういう、普段暮らしていたら見逃してしまうようなところを見るのが、たまらなく好きなのだ。 でも前はこうじゃなかった。あてもなくおさんぽするのとか、正直苦手だった。きっとそれは、いわゆる〈おひとりさま〉が苦手だったのだ。