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#グラデーション

起きている間は音楽が鳴っている。

掴むのは 信念か、身勝手か
思いやりか、自己犠牲か
僕ら 笑い合いたいだけ

それは ごめんねに込めた ありがとうのよう
ありがとうに込めた ごめんねのよう
連なった「本当」で グラデーションになった
曖昧の中から 愛を見つけ出せたなら

我が家の神様、SUPER BEAVERの新曲が出ました。耳障りの良い音楽、歌詞、声。体に合う水を飲んでいるように、体に浸透していくようです。主題歌として起用された映画には、特段に強い興味がないのですが、2作続けて起用した関係者の方には、ただのファンながら、ただ、有難く思っています。

彼らの音楽には、「対」になる言葉が盛り込まれることが多い。それは人によって状況が違ったり、一見いいことも悪いことも見え方や、発する者の正義が違うからで、できる限りその全てを理解しようと努力して、言語化して教えてくれている、のだと勝手に理解しています。

自由には責任が、不自由にはきっと無責任
肩を組みたいなら、目を見て話さなきゃと気がついた

(「嬉しい涙」 - SUPER BEAVER)

変わらないこと 変わること 選んで、今変わりたい
終わらせないために 終わらせるよ ああ、寂しくてよかった

(「自慢になりたい」 - SUPER BEAVER)

忘れてしまった それにも気がついていないような
忘れたくなかった 思いも山ほどあるだろう
だからこそ思うんだ、それでも煌めくような
圧倒的な感動を 圧倒的な感情を

(「ハイライト」 - SUPER BEAVER)


彼らはこれまで、劇的なストーリーというよりも、私たちの隣に立って、「人として当たり前のこと」を発信してこられたように感じます。彼らのライブに行けば、言葉と振舞いの端々にそれを感じます。一挙手一投足に、責任や情熱を感じます。「俺達は全力であなたに音楽を届ける責任があるんです」・・・なんて、彼らの他に誰が言えるのだろう。

直近のシングル2曲は、2曲連続でミュージックステーションにて披露されるほどで、完全にどメジャーアーティストとなりました(なってしまいました)突き進む彼らをもっとたくさんの人が知り、ライブチケットも取りづらくなってしまうのかも知れません。とは言え、


はちきれそうだわ。