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20年振りに床屋に行った。

転職活動に必要な証明写真を撮るため、写真屋に向かう。服までは貸出していないため、着ている洋服とは別にシャツとジャケットとネクタイを用意した。駅前のデパートに入っている写真屋に向かったものの、店の前で髭を伸ばしたままで出てきたことに気が付き、初めて行く床屋に足が向いた。

長く付き合いのある美容師以外には、髪を切ってもらうことが無くなったため、縁遠くなった床屋。顔剃りがサービスに含まれている散髪屋には床屋という愛称があり、店員も美容師とは別に理容師と呼ぶが、それらの語源までは知らない。行くのは学生以来になる。椅子に向かい合い設置された洗面器が妙に懐かしい。

「もみあげはどうしますか」「眉下は剃りますか」などと聞かれたものの、床屋に通っていれば自然なはずの質問に、若干戸惑う。簡単な質疑応答を経て、小さな布を首に巻かれ、椅子を倒されながら、目を閉じた。

石鹸の泡が滑った髭を剃刀が薙いでいく。清潔さを取り戻していくその様と、人肌よりもひんやりとした剃刀の感触が何とも気持ちがいい。バリカンで刈り上げられるときの感触と似ている。私はこう、刃物に髪を切られていく感触が好きなのか、刃物が肌を滑る感触が好きなのかも知れない。バリカンなどは永遠に肌を滑らせていて欲しいとさえ思う。

乳液か何かのクリームを何度も撫でつけられながら、肌がマッサージされると、眠気など全くなかったのに寝てしまいそうになる。年じゅう髭を生やして荒れているだろう私の肌を、繰り返しゆっくりと揉んでくれる。温かいタオルに包まれ、息をするために出ている鼻に刃物が入り、鼻毛も切って整えられたところで、夢うつつから目が覚めた。


丹念に整えられた私の肌は輝いていた。笑

理容師、美容師は、私の中でいわゆる「職人」として尊敬の部類に入る。きっと長い間、近所の客の髪を切ってきたのだろう彼らの腕は引き締まり、樹木のように動じない年輪のようなものを感じさせる。予約も無しに現れ、顔だけ剃ってくれという(一見若そうな)初対面の四十路の男に、終始彼らは親戚の子供を相手にするように、柔和に接客してくれた。


また行くかもしれない。髭を伸ばして。