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作品の共感性と独自性(ハライチのターン!を聞いての備忘録)

テレビで放送されるようないわゆる世の中で流行っている音楽と、音楽フェスで聴けるような音楽との違いだったり、インディーでやっていたバンドがメジャーになる時にサウンドの感じが変わったりする事象についてモヤモヤしている感情があったのですが、2023年8月3日のハライチのターン!にて岩井さんの会話がなんだか気持ちをすっきりさせてくれたので備忘録までに。

ハライチのターン!にて宮崎駿監督の君たちはどう生きるかを観ての岩井さんの感想の中で、多少中略しているところもありますが次のように話していました。前提として引用長いですが、文章短くすると意味合いも変わってきそうだし、そもそも文章じゃなくてラジオ聴いてほしいという気持ちを添えて以下どうぞ。

率直な感想は理解できなかった。何が起こっているのかセリフも分からないことだらけで、表現的にはついていけなかったというのが1番正しいのかもしれないんですけど。どう分からないかと言いますと、ジブリって宮崎監督作品は登場人物人同士だけしか分からないセリフを言ったりするんだよね。(中略)こっちがちょっと置いてかれているようなセリフがあるんだけど、それを読み解いてわかった時に見ている方は気持ちいいし、読み取れない部分があったとしてもなんかカッコいいなみたいな。理解したいなみたいな。ジブリの宮崎駿の作る世界って俺らの世界の断りとは違うんだ。っていうのがなんかかっこよかったりとか。でも今回のジブリの君たちはどう生きるかは、全編それやっている感じ。やられちゃった感じっていうかね。それはもうついていけないじゃん。ついていけなかったということなんだけど、宮崎監督濃度はやっぱり濃いですよ。独特の色を100%やっているような、見ている側には優しくない感じ。でも、アーティストなんていうのはそれで良いと思うんですよ。自分の価値観を提示しれば良いんだから、誰の理解も求めずに自分の濃度の高いものを作り出した方が良いじゃないですか。それがアーティストだと思うんですけど。理解できないし、売れなくても良いって俺はこれが良いと思うをバンと出すのがアーティストだと思うんですけど、売れるようにとか理解できるようにって大多数の共感を得ようとすることだから自分以外の価値観が作品に入っちゃうということじゃん。自分だけが作っているんじゃなくて民意で作品を作ることになるじゃないですか。それをしなければあぁなるよなってかんじ。だから、こっち側が無理になるほどなんてわかった風な口を聞くなんて宮崎監督への冒涜な感じがするっていうか。浅いところで理解されたような感じをだされてもということな気がするんだよね。自分が作ってたらそうかもなって。だからこう素直についていけなかったで落ち着いているんですけど。

2023年8月3日 ラジオ「ハライチのターン!」にて

これを聴いたときにかなり納得しました。私は作品に対して共感的な一面で好きだ!という気持ちと、全く意味は分からないけど作者独自の創作性が伝わってきて作者の世界を理解できていないけど後ろを追いかけさせてください。好きです!みたいな感情になることがあります。

5年前に小さなライブハウスでたまたま観れたカネコアヤノさんのライブは後者の気持ちでした。

一方で、岩井さんはPodcastのアフタートークでは次のようにも言っていました。

とりあえず間口は広くしようと、一応誰にでもわかるようにやろうとネタとかやるんですけど、分かる人には分かるって言うのはさ、やるともうおしまいじゃんコンテンツが、今いるお客を抱えて心中するだけじゃないですか。

Podcast ハライチのターン!アフタートークより

作者が作品を外の世界に出すのならば、多少なりの共感性がもてる余白を残さないと外に出している意味を持たないというのも事実だと思いました。ただ、作者が独自性のある創作をして新しい価値観を民衆に提供してそれがメジャーになっていくということもパターンとしてはあると思います。

創作をする中でこのあたりの絶妙なバランス感覚をもっている人が強いのかなと考えたり。

日本の音楽に色々と影響を与えた細野晴臣さんの泰安洋行だったり。

星野源さんも新しいことをやりつつ大衆が受け入れられる絶妙なところをついていると思います。(Cubeは面白いビートで聴き入ってしまう)


かなり独り言の内容になってしまいましたが、とにかくモヤモヤが少し晴れた気がしてよかったです。以上、ハライチのターン!を聞いての備忘録でした。

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