人に成る式ってすごく形式的だね。

成人式って必要なのかなとかれこれ中学生くらいから感じてきた。
中学生の僕にはどうしても「成人式」というのを言い訳にして新成人がどんちゃん騒ぎをしているようにしか見えなかった。

依月です。成人式行きたくないです。どうせ行かないと今後の生活が困難になることが目に見えているので早く扶養を外れるようにしたいです。

ずっと気になっているんです。
なんでわざわざ成人式なるものに行かなければならないのか。
親に聞いたら『そういうもんだから』と言われた。こんな相手と議論するだけ時間のムダであることは今までの人生で学んできたことだ。
大学の同期に聞いてみたら『久々に地元の友人と会うため』という人が多かった。その論理で行けば地元に対して友達のいないであろう僕は行く必要がない。

大体成人式の後は同窓会があるのが相場とされているがあれは基本的に中学のくくりで集まるもの。そうしたら中学から地元を離れて私立の中高一貫校に通っていた僕の居場所は本格的にない。行ったところでむなしさばかり感じるだろう。
中学・高校の同窓会は土曜日に高校で行われる。それには行くよ。でも仲いい人たちとは定期的に遊びに行っているし、高校と大学言うてそんなに遠くないし、部活の関係でしょっちゅう高校には言っているから感動もない。中学・高校の同窓会に行く意味も突き詰めていけばない。でも中学・高校には定期的に帰って心の栄養を補給しているから今回も多分その一環で行く感じになる。

成人式ってそもそも何のためにあるのだろうか。
行っても知らないおじさん、おばさんの長い話を静かに聞かなければならない。ただありがたい(笑)話を聞くためだけに早起きして振袖を切る必要性はあるのか。ただ若者がどんちゃん騒ぎする口実として式があるならもう『成人式』なんて厳かな感じのする冠はつけず『新成人がどんちゃん騒ぎする会』みたいにしてくれ。お偉い方々のありがたいお言葉(笑)を聴かせたいならネット配信でもすればいい。その方が聞きたいときに何度でも聞けてむしろお偉い方々のお言葉もより広まるんじゃないでしょうか。集まる口実にしたいがための式なら、だれか集まりたいフットワーク軽い人が動けばいいじゃん。別にあんなに寒いときに、何人か成人していない微妙なときに無理に集まる必要ないじゃん。集まる日にちが学校ごとに分かれていた方が急性アルコール中毒の患者を運ぶ救急車も羽目を外しすぎる輩のために呼び出されるパトカーも分散されて少しは楽になるでしょう。

単純に気になるのだ。
ここまでして形式化してしまっている〈成人式〉とやらをやる必要性はどこにあるのか。
僕の意見としては必要ないんじゃないかって思うわけですよ。

どんちゃん騒ぎがしたいなら別に成人式でなくてもいいじゃない。
同窓会がしたいならしたいときに声をかけて開催すればいい。
お偉い方々が有難いお言葉を若者にかけたいのであれば今どきSNSの方がよっぽど有効である。実際の声じゃないと響かない?あの会場の多くがそもそも聞く気ないから大丈夫。

成人式の必要性・有効性に関して考え始めて早7年。考えれば考えるだけアンチ成人式の僕には必要性が分からなくなってしまっている。
あと1か月後には成人式を迎えますが、その時までにどうにかして成人式の必要性が見つかると良いな。見つからないとしんどいな。そう思って生きています。

今日はきっとそんな日。


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