2012年9月21日「対話」

「僕たちは、あまりにもまともじゃない現実の中で生き過ぎていたんだ。」

「それってつまり、どういうこと?」

「僕たちは初めはもっとまともな、普通の街で暮らしていたはずだ。不自由な思いは何一つとしてする必要のない街で。でもいつのまにか僕たちは違う街に来てしまっていたようだ。外見は似ているけれど、本質的には全く異なっている街に。違和感はあったはずだ。サインは投げかけられていたはずなんだ。でも僕たちはそれをささいなこととして無視しつづけていた。まともじゃない現実にどんどん慣れていってしまった。そして蓄積された歪みが今僕たちの目の前に現れている。それが災厄の正体なんだ。」

「ごめんね。私はあなたが何をいっているのかわからない。」

「わからなくてもいいさ。わかりあうことが全てじゃないんだから。それより今僕たちがするべきことは…」

「何?」

「逃げることだ。できるだけ遠くへ。」

「逃げるといってもどうやって?電車は止まっているし、自動車も自転車も壊れているのに。」

「走るんだ。」

「そんな、すぐに力尽きちゃうよ。あたし全然体力ないもの。」

「頑張るんだ。人間いざとなればとてつもないほどの力が出るものだ。あきらめるということさえしなければきっと君は安全な場所までたどり着くことができるはずだよ。」

「わかったよ。でもせめて手は握っていてもいいよね?せめて誰かと、体のどこか一部だけでもつながっていないよ。でないと不安で、とても遠くまで走れそうもないよ。」

「僕は一緒にいけない。」

「そんな、どうして?」

「僕たちは一緒に逃げてはいけない。君は日の沈む方へいくとしたら、僕は日の昇るほうへ逃げないといけない。逆でもいい。とにかく僕たちは別々の方角へと逃げないといけない。」

「だから、それはどうしてなの?どうしてそうしなくちゃいけないの?」

「辞書にそう書いてあるからだ。」

「辞書?また辞書なの?どうしてあなたはいつも大事なことを決めるときは辞書に頼るの?私は一緒に逃げたいのに。一緒じゃなきゃ逃げられないのに。辞書に書いてあるからってどうしてそのとおりにしなくちゃいけないの?」

「違うんだ。違うんだよ。そういうことじゃないんだ。辞書に書いてあるっていうのは、多分君が思い描いていることとは違うんだ。」

「何が違うの?一体何が違うっていうの?あたしにはわからない。何もわからない。ただわかるのは、今すごく寂しいということだけ。」

「今離れたとしても、きっと僕たちはまた再会することができる。だから、また出会ったときのために合言葉を決めておきたいんだ。」

「合言葉なんて…。」

「合言葉を決めておかないと、再会したときにお互いがお互いだときっとわからないよ。どんなに顔がかわっていたとしても、心がかわっていたとしても僕と君だとわかるように、合言葉を決めておきたいんだ。わかってくれるかい?」

「…。」

「お願いだ。わかってほしいんだ。でないと僕は…。」

「それならあなたは再会したとき、どんな言葉を投げかけてくれるの?」

「え?」

「え?じゃないよ。合言葉ってそういうものでしょ?あなたがあたしに言葉を投げかけて、あたしが決められた言葉を返す。そういうものでしょ?それならまずあなたが言葉を投げかけてくれないと何もはじまらない。」

「そうか。じゃあ僕は君と再会したときはこういうよ。「君をずっと探していた」と。」

「「嘘つき」。」

「え?」

「それが合言葉。その言葉を投げかけられたらあたしは必ずその答えを返すよ。だから、だからきっと。はやく会いにきてね。」

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