2012年9月2日の日記


「日記というものを書く必要性が果たして存在するのだろうか?」


 という書き出しで文章を書いてみようと思う。しかし日記というものを本当に書く必要があるのだろうか?あらためて問いかけてみると、どうにもその必要があるのかどうかよくわからなくなってしまう。大体今日の出来事を書き記して一体誰が喜ぶというのだろうか?


 …いや、それはもちろん自分のために書くのだ、というのはわかっているが、そもそも日記を後で読み返す人が一体どれだけいるというのだろう?日記を書いている人というのはみんなどこか心の奥では、他人に読んでもらうことを期待して書いているのではないか、という疑いを私は結構強く持っている。


 しかし文章というのはある程度継続して書き続けていないと本当にかけなくなってしまう。文章を書くための筋肉みたいなものがあって、その筋肉は絶えず使用して鍛えておかないと鈍って使い物にならなくなってしまうイメージである。特に小説家を志す人間であれば、文章を書きたい書きたくないという気持ちとは関係なく、一定のリズム、一定の時間文章を書き続けるという姿勢はとても重要である。プロの小説家として食べていきたいのなら、自分の気持ちとは関係なく依頼された文章をあたかも工場を稼動させるかのごとく生産していく能力は最低限必要なものだからである。創造性だとか構成力などといったものはその最低限の資質を満たしてからの話である。


 しかし現在の私はこの資質を持っているかというとかなり微妙である。文章をどうしても書きたくなくなってしまうという時はどうしようもなくある。これはなんというかもうどうしようもない。どうしようもないのだ。

 しかし最近ではそれなりに書けるようになってきている。少なくとも書き始めればある程度の分量の文章は書くことができる。無論私が満足するレベルに達しているとはいえないが、それでもこの能力はある程度鍛えることによって伸ばすことができるものなので、私は、これについてはある程度満足できるレベルまでいくことができると信じている。


 まあとりあえずなんでもいいから日記を書いてみよう。色々と理屈をこねるより、実践である。


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・日記
 

 今週は、というか水曜日に大井町から緑ヶ丘まで歩くということをしてからはなんというか精神および肉体の調子がよくなかった。


 おかしくなったのは木曜か金曜あたりからだったろうか。まず水曜日の夜はおそくまで○○○をやっていた。これがなかなか面白かったが、
クリアするところまでいくことはできず、なくなく明日に持ち越した。


 木曜にはもう腹の調子が悪くなっていた。それでもその日は特にきにせず、夜には気にせず○○○をやった。この日なんとかクリアーすることはできた。満足してその日は眠ったのだけれど金曜日はかなり調子が悪くなっていて、1日に何回もトイレに入ってしまった。急遽緊急体制をしいて、薬を大目に飲むことにしたが、それでも下痢は止まらなかった。


 精神も不調であった。過去のいやのことを次々と思い出し、しかもそれに対する怒りがおさまらないのである。これにはほとほと参った。自分の感情をおさえつけることができないのである。結局私の気持ちを落ち着かせたのは時間であった。どうしようもない精神の流れには、身をまかせてしまったほうがいいのだということを私は悟った。

 土曜には雨が降った。土曜から日曜にかけて断続的に雨が降った。夜中にはとくに大量に降った。最近ずっと雨が降っていなかったのでうれしかった。雨がやむと私の気分は晴れ渡っていた。

 と、書くとなかなかロマンチックだが、実際はあまり関係ない。日曜の夕方に散歩がてら川向こうの本屋にいったのだが、その散歩がむしろ私の精神の復活には一番効いたかもしれない。

 まあこんなところか。

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