【同人再録】3rdeye 脚本的長い長い後書き

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※再録に伴う注意書き

本稿は2019年冬のコミケ97で頒布された『3rdeye 脚本的長い長い後書き』の再録です。当初は増補推敲のうえ再版すると案内しておりましたが、さいさんのアツい感想postに触発されたので、「コミケ当日朝四時に脱稿した」オリジナリティを尊重し、一切の改稿をせず公開するものです。

マジのガチで誤植の訂正もしていませんので読みにくいです。きちんと画像もいっぱい入ったのをそのうち書くから許してね。

あ、当然ですがゲーム3rdeyeのネタバレを多分に含みます。やってね。

steamDL版とメロンブックスパッケージ版があります。

縦書きで読みたい人のためにPDFも置いときます。個人利用のための印刷は自由です。

はい、じゃ、よーいスタート。

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 「3rd eye」
縦書きだと読みにくくなるので以後「サード・アイ」と書く。「サードアイ」と書く場合はサトリ妖怪の持つ第三の目やその能力を指す。

 本書は「サード・アイ」の制作を脚本担当として振り返るレポートエッセイです。身内語りが多いですがそういう話です。僕はこれから僕らの話をします。これは長い後書きです。

 サード・アイは制作委員会制度で制作された、同人二次創作ゲームとしては珍しい作品でした。多くの同人ゲームはゲームを作りたい人が音楽や原画など素材を外注して作ることが多いと言われます。サード・アイでは、プログラマ、原画、音楽、アニメーション、そして脚本の専門家が集まって制作するという形が取られたのです。このあたりの詳しい経緯は色んな所で話しているのでググってください。

 実はいってつは企画立ち上がりの時点では脚本担当ではなく、それどころか製作委員会のメンバーでさえありませんでした。最初期のメンバーはプログラマーのさい、音楽家のニシム監督、それからことイナリの三人でした。ことイナリが原画に加えて話の内容も全て考えることになっていましたから、当然、フィールド(サード・アイでは画面内に写る一場面をこう呼んでいました)にどんなオブジェクトをどう配置するかも、全てことイナリぐ考えることになっていました。
 しかしながらことイナリはイメージ(構想)をイメージ(画像)で表現する訓練を積んできたために自身の構想を言葉で説明することが不得意でした。第一回の電話会議(このころはなんとスカイプを使っていました!)でことイナリは構想を言語化することに困り、第二回の電話会議からいってつが意図を汲み取って言語化する役として参加することになりました。
 サード・アイの物語を『東方地霊殿』のプリクエル的作品としてこいしがサードアイを閉ざすまでを描くというテーマ、こいしのサードアイを使って隠された謎を解いていくというシステムが決まるとより具体的な物語を考えることになります。チャプターごとにこいしには課題を与えられて、それをクリアできるかどうかで「発達度」というステータスが変動し、こいしの言動やエンディング分岐に影響するという、いってつが提案したシステムが採用されると、より詳細なあらすじをいってつとことイナリで作ることになりました。場面場面の大まかなカットはことイナリが作るものの、詳細なセリフやオブジェクトの配置についてはいってつが執筆することになり、脚本家とプランナーを兼任することになりました。
 ところで、製作委員会での意思決定について全権を担う人、議論が行き詰まり二進も三進もいかなくなってしまった時に決定権を持つ人というのは最後まで存在しませんでした。途中からさいが制作進行を行うようになりましたがこれはリーダーであってボスではありません。では脚本はどのようにして採用されていくのかというと、次のプロセスをたどります。

「全体でアイデア出し」
こいしが主人公、ゲームシステムなど

「ことイナリが構想を練る」
「いってつが構想を言語化する」
このチャプターでは舞台は雪原でチルノやフランドールが登場する、など

「ことイナリが描写したいシーンのコンテを切る」
「いってつがコンテを参考に脚本を書く」
「ことイナリが脚本を確認、リライト」
「ことイナリの承認を受けた時点で全体共有」

 ことイナリが「嫌」と言えば脚本は消し飛びます。チャプターまるごとボツを受けたこともありました。しかしながら細かい部分や台詞回しはかなり自由に遊ばせてもらえましたし、ジャーナル(劇中に回収できる文章)なんてやりたい放題です。

 ところで、いってつは映画が好きです。映画はいいです。インスタント人生です。人生に一度レベルの危機を数時間でノーリスクで体験できます。VRやARなんて媒体が一家に一台時代が迫りつつありますが、今現在は最強の娯楽は映画だと思います。セリフがあって音があって画があってそれが動く。現状僕らが感じる最もリアルな体験だと思います。VRAVは最強のベクトルがまた違うので無視してください。
 映画のオタクに脚本を書かせたらそりゃあパロディとオマージュのオンパレードになります。パクリじゃないです。そのへんのことは今敏監督のブログを読んでいただきたいです。ジャンルは東方プロジェクトですが、制作の支えになったのはたくさんの映画です。

 サード・アイの制作を始めて公にしたのは、アニメーター募集の告知を行ったときだったと思います。サード・アイではことイナリの原画をアニメーターのうさまたがスプライトスタジオというソフトでアニメーションさせています。実は当初の目論見では、ことイナリが手書きアニメーションを作ることになっていましたが、すぐに現実的ではないとわかり、ツイッターでアニメーターの募集告知を行ったのです。
 このとき実際にコンタクトがあったのは数名程度でしたが、「ことイナリのゲーム!」「東方のホラーゲーム!」という形で多数の反響がありました。特に多かったコメントに、「ティム・バートンみたいだ!」というものがありました。
 これは本当に多いです。ことイナリの作品を即売会で見たり、企業等からご連絡をいただく際にも本当に! 本当に毎回のように言われています。もちろんことイナリはティム・バートン作品を嗜んでいますが、ことイナリのテーマはどちらかというとエドワード・ゴーリーやチャールズ・アダムスによる影響が大きいと思います。エドワード・ゴーリーは『うろんな客』で有名な絵本作家です。ゴシックでダークな作風を持つ作品が没後も高く評価されています。こちらの画風をオマージュした影狼の二次創作絵本をことイナリ絵、いってつ文で制作したこととあります。一方、チャールズ・アダムスはサード・アイに色濃く影響しています。
 チャールズ・アダムスは一コマ漫画を新聞に掲載していた人物で、彼の作品は「アダムス・ファミリー」として知られています。実写映画化二回のほか、アニメーションシリーズやブロードウェイミュージカル、さらにアニメーション映画の公開も控えています。モノトーンのイラストレーションの中で繰り広げられるズレた人々のニヒルな笑いが最高です。私は交通標識を盗んで遊ぶネタが大好きです。この笑いは例えばチルノの首つり、もとい雪山からの救出シーンに代表されるこいしの奇怪な行動に影響しています。理解力はあるのにそれが世間通俗とズレている恐怖と。原作は『アダムス・ファミリー全集』で読めますし、持って手軽に実写映画を見るのもオススメです。
 ちなみにティム・バートンは極端に痩せた・太ったボディライン、おおきく真円に近い目玉などが特徴的なのに対し、ことイナリの作画は比較的写実性を持った人物作画になっています。チャールズ・アダムスやエドワード・ゴーリーも同様です。ゴシックでホラーとコメディが同居する作品は日本ではティム・バートンが圧倒的な知名度を持っているので代名詞的に名前が使われますが、アダムス、ゴーリーともにバートン以前の人物です。ぜひご照覧ください。

 話をサード・アイに戻します。ニシム監督がアニメーター募集への応募者を電話面接して、採用者を定例会議(仰々しいですがスカイプです)に連れてきてくれました。
 うさまたはこの時点では東方プロジェクトのファン活動をしておらず、有名なキャラクターを知っている程度の知識でした。そのため制作に入る前に東方とは、というレクチャーが入りました。この作業はとても楽しかったです。「こいしは原作だとどんなキャラターで、今作ではこういうふうに扱います」とか、「サトリ妖怪とさとりは違います、前者は一般名詞で後者は固有名詞です」とか、「それは魔理沙じゃなくてアリスです。まあどっちも今作には出ないので気にしないでください」とか。苦労したのは秘封倶楽部の説明です。連中は一体何なのでしょうか。さっぱりわかりません。
 いってつ、ことイナリともアニメーションを制作した経験はないのでそこはプロに任せようという考えがありました。動きの指定だけをして細かい部分はうさまた判断にしていただきました。いま思うとヒドイですね。後にうさまたは「仕事と違って自分の好きに動かせたので楽しかった」と語っています。事実、うさまたさんのアニメーションにリテイク、ボツを出したことはほとんどゼロと言っていいでしょう。「指示されたとおりに作るだけの仕事に疲れていた」とのことですが、見事ことイナリのイメージを具現化していました。
 うさまたには東方と一緒に映画も勉強していただきました。ことイナリ作品の雰囲気を理解してもらうために、ことイナリが影響を受けた作品をたくさん見てもらいました。前述のアダムス・ファミリーはもちろん、「スーサイドショップ」も外せません。
 文字通り「自殺用品店」を舞台にしたアニメーション映画です。家族経営の店に訪れる客は自殺の方法を相談します。店員たちは最適な方法をプレゼンしてその道具を販売するという商いです。自殺用品店の面々は自殺を肯定的に捉えていて、「苦しく長い人生をいま終わらせよう!」と高らか朗らかに歌います。人間讃歌を希死観念を描くことによって表現する怪作です。アマゾンプライムで見れたり見れなかったりするので見てください。
 アニメーターのうさまたさんが参加したことによって制作は一気に進んで行きます。2017年秋、インディーゲームの展示即売会、デジゲー博でパイロット版を発表できました。こいしが目覚めて屋敷を出るまでのごく短いものでしたが、ことイナリのグラフィックがうさまたさんのアニメーション、ニシム監督の音楽とともに動き出して本当に、心の底から感動したのを覚えています。
 いってつの記憶の中で最も古い映画はトイ・ストーリーです。実写映画で言うとスター・ウォーズです。いってつは幼少期から映像表現に憧れがあって、コマ撮りアニメを作ったこともありました。やがて映像表現に関わるには原作本を書けばいい、と素朴に考えて文学に傾倒していくのですが、人の力を借りて実際に自分が考えた脚本通りに映像が流れるという経験はサード・アイが初めてのことで、嬉しくて、少しだけ、少しだけ泣いてしまいました。
 まだゲームらしいゲームになってはいませんでしたが、サードアイの能力システムやグラフィックを見て、何人もパブリッシャーが名刺を置いていきました。今思えばこれは青田買いなのですが、自分たちの作品がプロ目線でも興味を引くものだとわかって嬉しかったです。
 ことイナリにしても、現在はフリーイラストレーターですが、かつてはゲームのプランナーやデザイナーを夢見ていただけにこの感動は大きかったでしょう。

 さあ、続きを作らなくてはなりません。
 デジゲー博を終えた時点で五部構成プラス分岐エンディングという構成は決まっていて、プロットも書き上がっていました。デジゲー博パイロット版に続くチャプター一はこいしが屋敷から脱出して友達を作る話です。でもこのゲームは一応探索ゲームだと言ってしまっているので、もっと細かくいろんなネタを仕込まなくてはなりません。さあ
 途中のバス停には三カ所の行き先時刻表があります。ミョーレン、コリンウッド、ブライヤークリフの三カ所です。ミョーレンは命蓮寺ですが、ほかの二カ所は映画からの抜粋です。
 コリンウッドは映画「グレイヴエンカウンターズ」に登場する廃病院。ヤラセ心霊番組のクルーがガチマジ心霊スポットでロケを慣行、次々と怪異に襲われていくモキュメンタリー作品。クルーの撮影した映像を見るというコンセプトは「ブレアウィッチプロジェクト」「クローバーフィールド」に近いですが、こちらはガチガチに怖いのでたのしいです。この二作で画面酔いしたという方でも、この作品一応はプロカメラマンが撮影しているというテイで、定点カメラも多いので、楽しめると思います。
 ブライヤークリフはドラマ「アメリカンホラーストーリー」のシーズン二に登場する教会運営の精神病院の名前です。シーズン一とは直接の関係が無いのでいきなり見ても大丈夫です。だいぶえっちで暴力的なのでこどもは見ないでください。病院での虐待を暴くべく潜入するが想像以上にヤバいというやつです。患者側にも医療者側にもいろんな事情があってメンタルひりつきます。怪奇的シーンが次々リフレインするオープニングはチャプター一、二でオマージュされています。
 さらにこのシーン、ベンチにチョコレートの箱が置いてあるのですが、これは映画「フォレスト・ガンプ」からの引用で、「人生はチョコレートの箱、開けてみなければ(どんな形、味、大きさなのか)わからない」のオマージュです。劇中でもやはりバスが来るのを待ちながら主人公フォレストガンプがチョコレートをつまむシーンがあります。もっとも、こいしちゃんの見つけたチョコレート箱、中身空っぽなんですけどね。エンディング近くで再登場したときにはハサミが入ってます。意味深????。ガンプは公立校への入学を断られるほど知能指数が低く周囲に馬鹿にされますが、母の教えを愚直に守るうちにいろんな人々の縁を結んで、時代に翻弄されながらも人生を走るお話です。こいしはどうでしょうか。
 言うまでもないでしょうが、こいしは夢の中を旅しています。そのため、ここで登場するにとりっぽい女の子やてゐっぽい女の子はにとりやてゐではありません。同人版に封入されていたリーフレットにもやはり「にとり」とは紹介されていません。製作当初は命蓮寺に孤児院があり、その子供たちという設定がありました。公園の外にいる子供は労働者で、中にいるのは子供です。子供は守られるから子供なんですよね。守られなかったら大人と同じように働くしかないんです。
 ところで某店の脇に燃えやすそうなものが置いてありますが、お察しの通り焼くつもりでした。
 こいしは公園でうまくほかの子供と打ち解けず悲しい思いをした記憶を思い出します。やはりここでも同じように子供たちが現れてうまく打ち解けません。プレイヤーはここで選択肢を与えられます。「折り合いをつけるか、つけないか」です。もしここで以前と同じく突っぱねればこいしはまたスネて家に帰るだけです。こいしの成長はプレイヤーの選択次第になります。RPGにおけるプレイヤーの立ち位置問題については後ほど。
 子供たちと折り合いをつける選択肢を選ぶと響子っぽい子供、子傘っぽい子供、ムラサっぽい子供と仲良くなるために遊び道具を探すことになります。響子は竹とんぼをほしがるのですが……今になって思うと英語中国語ローカライズを実装して外国人にも遊んでもらっている中、竹とんぼが通じるのかという不安があります。最終的にダーツみたいに飛ばしてるし。
 ムラサは秘密基地に入りたがりますが、その合い言葉がわかりません。合い言葉のヒントは「こわいけどやさしいもの」「だいきらいなのにはなれたくないもの」で、選択肢は「先生」「お母さん」「友達」「兄弟」です。実は正解はなくて、どれを選んでも正解になっています。実況動画を見るとみんなめちゃくちゃ真剣に悩んでくれているんですがRTA走者なら連打で突破してください。 
 突破できたら晴れてチャプター1グッドエンディングです。こいしちゃんは望み通り「人形ごっこ」ができました。自分自身が人形に扮する人形ごっこ、僕は大好きです。

 さあチャプター2です!
 単純な話の面白さでは一番じゃないでしょうか。チルノぽいコとフランっぽいコといういろんな意味で強いキャラクターが登場しますし、女の子が喧嘩して仲直りするのを見るの、オタクは大好きですよね。
 で、チャプター2の話をする前に話さないといけないことがあって、実は雪原を舞台にしたこのチャプターはじつはチャプター3なのです。実は諸事情で丸々ひとつのチャプターが制作延期になってしまったのです。本来ならばパルスィっぽい女の子が主軸となってやはり女の子がモメてこいしががんばって仲直りできるかな? 的な話が予定されていました。ことイナリが公開しているイメージボードや画集でもその名残があります。いつかどこかで発表できるとイイですね。
 さあ女の子が喧嘩する話です!
 チルノぽいコは工作が大好きですがぶっちゃけヘタクソです。やる気はありますが技術がぜんぜん伴ってません。一方フランぽいコは工作大好き、お姉ちゃんに技術も教わっているのですごく上手。この二人をぶつけるとはじめは仲良く遊ぶでしょうけれどすぐにモメ始めそうですよね。中学生の漫画同好会にありがち。これをこいしがうまく仲裁して一緒に「雪だるまつくーろー」ってのが趣旨です。
 殺風景な雪原なんですが、オーエンの墓があったり、こいしのイマジナリーペット「ジョン」の墓と幽霊がいたり(まさかの猫)、紅魔館メンバーを模した雪だるまがあったりとけっこう楽しいオブジェクトがたくさんあります。イベント的にもチルノの首を吊ったり発破したり斬首したりと不条理カートゥーン感が楽しいですね。ことイナリの指示書に「チルノの首に縄をかけて引っ張る」とあったのですが、アニメーターうさまたさんから「えっ、これって首を吊るってことですか?」と質問があり、「はい、吊ってください」とのやりとりがありました。草。
 凍った川を挟んで喧嘩する二人、その間にはさまれるこいしのシーケンスがお気に入りです。全体的によくまとまっていて笑えるいいチャプター担ったと思っています。

 秘封倶楽部はぜひゲームに登場させたいと思っていました。制作メンバーみんなが大好きでした。リディルはアレンジ曲、ひまわり鎮痛剤はゲーム、汁うどんは小説本をすでに発表していました。幻想郷の外側の住人はこいしに現実の厳しさを突きつけるのにうってつけでした。
 竹林のチャプターではこいしは現実世界をさまよいます。夢の世界で友達ができたのを現実だと思いこんでいるこいしにさとりが「あなたに友達はいない」なんてド直球にデッドボールをかましてしまったために、さとりは窓から突き落とされます。こいしは館から脱走、竹林に迷い込むわけです。そこで同じく竹林をさまよう秘封倶楽部と出会います。今までのチルノぽいコではなく、リアルな蓮子とメリーです。彼女たちは等身が高く、あきらかにオトナな雰囲気です。
 このチャプターを制作する前に互いの秘封感のすりあわせが行われました。実態はオタクが早口で幻覚を語る会でしたが。
 東方というジャンルはいい意味でも悪い意味でも、創作をしたい人にとっていい素材です。「東方でエロを書けば売れる」と揶揄されるように、東方なら内容如何にこだわらず島買いするファンが多いのでリアクションを得ることができます。秘封倶楽部は特にその傾向が強いと思います。新約聖書に並んで、世界中のあらゆるファンダムのなかで最も自由度の高いジャンルと言えるかもしれません。わたしにとっても秘封倶楽部はバイブルです。
 このチャプターでは蓮子にこいしは見えていません。メリーには見えていますがそれはこいしの目薬を浴びてしまったから。蓮子もこいしに目薬を投げつけられて彼女が見えるようになります。ここで二人はこいしについて考察します。こいしは幻覚のようだが二人ともかなり近いイメージを見ている。と言うことは遺伝子的もしくは文化的に人類が抱く原初的なイメージなのでは、と考察します。こういう、答えがわかったところで腹が膨れない問題を考察する秘封倶楽部が大好きです。
 迷いの竹林はゼルダの伝説の迷いの森よろしく迷路状になっています。こいしはメリーの言う境界を探す手伝いをするのですが、ほとんど同じ背景のフィールドの中に一つだけ正解があり、イベントが分岐します。間違ってもエンディングには影響しないのでRTA走者は適当に選んでください。
 このチャプターには選択肢は登場しません。こいしはお姉さんの二人と友達になれたつもりですが彼らの間にはたくさんの残酷な「違い」が横たわります。こいしは自分が一人前で二人と友達になったと思っていますが、秘封倶楽部には異国の地で出会った花売りの少女にしか見えていません。旅先でちょっと仲良くしただけで、決して友達ではないのです。こいしにはそういうことがよくわかりません。自分が友達だと思った相手が、同じように自分を友達だと思っているかどうかなんて、考えもしません。こいしは姉を窓から突き落として屋敷を飛び出してしまい、帰るところがありません。拠り所となりそうだった優しいお姉さんもあっさり消えて、こいしにはもう居場所がありません。親に反抗して家を飛び出て、親友の家を訪ねたけど他のコとカラオケに行ってるみたいな地獄です。
 幸い、こいしはお姉ちゃんが迎えに来てくれましたが、勢いで飛び出したきり、引っ込みつかなくなって妖怪にさらわれる子供ってたくさんいるんでしょうね。
 ここまでこいしをいい子ちゃんに導いてきたプレーヤーにはショッキングな展開だったと思います。
 
 さあ、いよいよ屋敷の中です。
 さとりに連れ戻されたこいしは屋敷の中で目覚めます。屋敷の中には動物がたくさんいて勝手気ままですが、黒い鳥の女のコだけは籠に閉じ込められています。彼女にシンパシーを感じたこいしは彼女を助けるために鍵を探すことになります。
 サードアイを使うと動物の心を読めて会話ができます。ドクタードリトルみたい! 言葉が通じるのでこいしは斧を使って動物を恫喝できます。さとりの部屋にも入ることができます。こいしの部屋と左右対称になっているのが印象的ですよね。なるべく少ない工数でエモビジュアルを実現させました(ことイナリが)。REDRUMの文字も左右逆になっています(これはうさまたさんがやってくれた)。真っ暗な地下なんて低コストエモの最たるものですよ。背景真っ暗で、目を使うとオブジェクトが見える。以上。 
 このチャプターでは最後にカラスを助けるかどうかを選択します。これがおそらく最も難しい選択だったでしょう。お姉ちゃんの決めたルールか、目の前にいる泣く女の子か。ここで目の前の女の子を切り捨てるのは彼女自身を守ることになるのですが、この選択は将来どういうことが起きるのか想像する能力が必要で、非常に高度です。

 エンディングではこれまでに選んできた選択肢に応じた分岐が発生します。病院を彷徨って目撃するのは、次々と生まれて宙に昇っていく子供、母を責める父、くたびれていく母、泣かない姉、わめく幼いこいし。さらに今までの風景が混沌と混ざり合った景色の中を巨大な赤ん坊に追いかけられます。かなりストレス負荷の強い場面が続きます。屋敷から出ると胎児が電灯に臍帯でくくりつけられている。ここで「過去を葬る」「過去を別つ」という選択肢が見かけ上表示されますが、プレーヤーはこの時点で選択することはできません。
 このあたりは人間の自由意志の話になっています。私たちは日々一瞬一瞬が選択の連続ですが、そのすべてを今この瞬間都度に選択できていると言えるでしょうか。今までに経験してきたすべてのことが影響して判断が行われています。それは自由なのでしょうか?家族や友達に言われたこと、周囲の評価、本で読んだことが人格や行動規範、ポリシーになっていきます。それはこいしも同じです。プレーヤーもそうでしょう。僕もです。
 ここまでのプレーヤーの行動でこいしの人格が形作られています。だから、ここに来るまでの間に、すでに答えは決まっているわけです。自由意思って何なんでしょう。僕がこれからするすべての選択にすでに答えが出ていて、周囲から受けた影響によって決められた選択に僕はあらがうことさえできないのでしょうか。は~~~コワ。これ書いてるの2019年12月31日の午前一時です。これまでの脚本もこんな時間に書いていることが多かったと思います。
 すべての選択肢で良い子のほうを選んでいくと、さとりとの和解ルートにすすみます。こいしは物わかり良さそうでさとりと仲良くおしゃべりしますが「いいこにしなきゃ」「第三の目があるからね」とプレーヤーを見つめます。「サードアイ」とはこいしの能力ではなく自由意志を人間から奪う第三者の目の存在のことだったんだよ!

 信じるか信じないかはあなた次第です!

 ちなみに悪い子に突っ走ると第三の目を封印することになります。これ、プレーヤーによってどっちをグッドエンドだと思うかが違ったりしてめちゃくちゃ面白いです。めちゃくちゃ映画っぽい。
 いってつは映画製作をしたくて、映画原作者荷なるために小説家になりたくて、どういうわけか同人作家をやっていますが映画みたいなゲームが作れて満足です。小島監督みたいだ! 余談ですが、小島監督の手法をパクって、フィールドの設計をレゴブロックで作ってイメージ共有したりしていました。

 さて本編以外の話。
 正直、ゲームを作るのはめちゃくちゃしんどかったです。
 例えば小説というのは一人で書くので自分が理解できていればよくって、あとは読者の解釈や想像に任せられます。美女が木陰から現れる、というのを表現したいとき、小説なら「美女が木陰から現れた」ですみますが、おなじことをゲームでやろうとすると、美女の髪の色から木の種類やら歩いてくる方向やら速度やら何から何まで全部決めて伝えなければなりません。これはめちゃくちゃグロい作業です。ちょー大変です。本当に嫌。最悪です。この作業の時間であと二本ハナシがかけると思います。それぐらい時間と労力がかかります。
 でも、これがチーム制作というか人類のすごいところなんですが、プロジェクトに参加している人数が二倍三倍になると成果物のデカさが二乗三乗になるんです(いってつ調べ)。本当に、本当に弊委員会はすごいと思います。ゲームを作りましょうと誘われなければ絶対にこうはなりませんでした。
 ニシム監督さんの曲を聞いて何時間も筆が止まってしまうこともありました。いろんなことを思い出してしまって、何もできなくなります。ダウナー系のトリップってこんな感じなんでしょうか。アルバム買ってください。
 さいさんは本当にこの出来損ないのプランナー兼脚本家をよく指導してくださいました。ほんとうにすみませんでした。さいさんからエクセルの参考書を贈られたのをきっかけに互いに良書を断り無く住所に送りつける素敵な交流が現在も続いています。
 うさまたさんは本当にいいお姉ちゃんで、ことイナリ共々面倒を見てもらってばかりです。あとフワフワしたイメージでしっかり完璧な演出ができるの本当にスゴイです。っていうか普通に絵上手ですよね? すげ……
 ことイナリは本当に怖いです。
 
 先ほど自由意志なんて無いんだとかどうだとかほざきましたが、僕はこの五人が互いに影響し合ってすごい作品ができたと思っています。人間ってスゴイ。

 もう時間が無いのでまとめに入ります。
 「サード・アイ」はその陰湿で不愉快なストーリーとは裏腹に、五人の頑張りとたくさんの人の励み支えあっての作品です。制作前は正直生活がめちゃくちゃで同人活動も休止していましたがこれがきっかけにまた創作を楽しめるようになりました。あと結婚もできてビートまりおにイジられまくってすみぺにお祝いの言葉を直接いただけました。なんだこれ……
 またゲームを作るのか、とよく聞かれます。
 この五人でならやりたいです。
 じゃあ、また。
 
 この文章、遂行できていないので後日ちゃんと整えてnoteかなんかに流します。 


奥付
著 いってつ
発行 汁うどん(代表いってつ)
kotoinari@gmail.com
発行日 令和元年十二月三十一日
印刷 自家による

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