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「馬鹿がよ」

私が大好きな文章を書く方の口癖。口癖と言っていいのかは正直わからない。私は彼がnoteやツイッターに書き込む言葉と、キャスでひとり語りをする言葉しか知らず、それらの中で印象的な言葉が「馬鹿がよ」であるにすぎない

はっきり言って、もうずっと「馬鹿がよ」に憧れている。憧れって理解から最も遠い感情らしい。確かにこの語はおそらく私から遠いところにある。あると思われていたら嬉しい

語るように書く人が好き。書くように語る人も好き。台詞みたいに書いて、台詞みたいに発話する人が好きだ

「馬鹿がよ」が上手くハマる文章と「馬鹿がよ」が似合う話し方とは、どちらも少し台詞くさい。違和感があるせいだと思う。私にとって自然な語彙ではないからだ。音だけで受け取っても、一旦書き出してそれを読み上げられているような感覚がある

「馬鹿がよ」は発音されたときにはその違和感が台詞くささを醸す一方で、著されたそのフレーズが馴染む文章は、まるで目の前で話されているようなリズムの良さを備えていることが多い。その絶妙なバランスに惹かれているような気がする

「言う」はいつも「いう」と書かれたいし「ゆう」でなく「いう」と言って欲しい。わざとらしいくらい綺麗に発音されるのが心地良い

「そーゆーの」という音よりも「そういうの」の方が好きだし、「そーゆーの」と書かれた日にはもう一人の大人として見ることができない

男女問わず、一人称が「私」な人が好き。「いう」と書いて「いう」と丁寧に発音する人が好き。お前だなんて言いそうにない人が好き。お前とか言いそうで首を絞めそうでお尻を叩いてきそうな人は嫌い

それなのに、どんなに女の首を絞めそうでもお尻を叩かれそうでも、「馬鹿がよ」が似合う気持ちの良い文章を書く人である限りは憧れずにいられない

バカね〜〜

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