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ぼく、オレ、私、うち、自分 2.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

文字であれ口語であれ、ぼくは一人称に ”私” を使った記憶がほとんどない。
これほど長年使わなければ、いざ使うべき場面であってもどうしても使いづらく感じてしまう。
仕事上のメールがまさにそれにあたるけれど、取材の校正などでぼくとメールのやり取りをされたことのある方がもしこれを読まれていたら、あぁ、そういえば・・・と思われているかもしれない。

一人称には ”うち” といったかなり砕けたものもあるけれど、これを使う人は圧倒的に関西人のイメージが強い。
ぼくも ”うち” を使うけれど、その場合は ”うちらは””うちのは” といった「私たちは」にあたる複数を指すものであったり、「ぼくの店では」「ぼくの家では」といった意味の場合に限られている気がする。
自分で書いてても、ぼくが外国人なら絶対に日本語なんて無理だわ、と思えてくる。

他にも一人称には ”自分” というのもあるけれど、これを普段から口語で使っている人は、ぼくが日常生活をしている中ではまずお会いすることがない。
「自分は…」なんて話す人を想像してみても往年の大スターだった高倉健さんと渡哲也さん演じる西部警察の大門圭介くらいしか思い浮かばない。
と思っていたら身近なところに1人だけいた。
うちの男子スタッフに「自分は・・・」と話す人がいる。
彼は高倉健さんや渡哲也さんとは似ても似つかないキャラだけれど、そんな彼が ”ぼく、オレ、私” といった一人称がある中で、どうして ”自分” と言い出したのか、とても興味深い。

そういえば彼は、相手のことも ”自分” と呼ぶ。
「自分なぁ」って。
この二人称に ”自分” を使うのも関西人が多い気がするけれど、彼のように一人称も二人称も ”自分” を使う人の言いそうなことを想像していたら「自分なぁ、自分は、自分が自分にそう言ったから・・・」なんて会話が思い浮かんだ。
まるで昔よく耳にした「ちゃうちゃうちゃうんちゃう?」みたいだ。

もうここまで来ると関西人相手じゃないと通じないのでは、と思えて来る。

つづく

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