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眼鏡

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

ついに人生初の眼鏡をつくっていただいた。といっても老眼鏡だけれど。
免許更新の際を除けば、最後にちゃんと検眼をしてもらったのが中学生のときなのか、高校生のときだったのか、それさえ記憶にないほど何十年も昔のことなのに「目は良い方ですか?」と訊かれると、いまでもぼくは「良いです。両目1.5です」と、訊かれてもいない視力まで答えるほど目の良さには自信があった。

ところが40歳を過ぎたころから、どうも怪しいと自覚するようになる。
それが顕著に現れたのが本を読んでいるときで、特に文庫本などになると霞んで活字がよく見えない。
これが噂に聞く老眼ってやつか、と薄々は思いながらも「いや、照明のせいに違いない」「たまたま目が疲れているだけに違いない」と自分に言い聞かせてきた。

先日、眼鏡屋さんにお世話になった際、なぜ、ぼくは目の衰えには抗おうとしていたのか、といったことを考えていて答えが見つかった気がする。

「老眼」「老眼鏡」

この言葉が原因に違いない。
誰だよ、こんな認めたくない的確な言葉を最初に使ったのは。もっと他に前向きな感じの呼称はなかったのか、 ということなんだと思う。

ぼくの場合、40を過ぎてほどなく小さな文字が読みづらくなり、また齢を重ねるにつれ酷くなったそれが老眼だということは、もう自明だった。
無線LANルーターなどの小さな文字で書かれたパスワードや特におしゃれな名刺をいただいたときにそこに書かれた小さ過ぎる文字を読もうとすると、スマホのカメラアプリで拡大しなければ読めないほどになっていた。

スマホの文字を読もうと近づけたり遠ざける時間や回数が年々増えるとともに周囲にいるスタッフの笑い声も増えたし、近い人からは「そろそろ眼鏡を買えば?」と何度も言われた。
それでもぼくが眼鏡屋さんへ向かおうとしなかった最大の理由は、Kindle の登場だった。

老眼になってあれこれと不自由に思う瞬間はあってもそれほど生活に支障が出るわけでもなく、ぼくにとって最大の不具合は本を読むとき(特に文庫)くらいだったので、もしやと思いKindle を使ってみると驚くほど活字がよく見えた。
ところが最近ではデジタルでさえ見えづらくなってしまい(拡大してまで読むのも面倒)、ついに眼鏡をつくろうとなった次第。

老眼だと自覚してから、実に約10年が過ぎていた。
そんなタイミングで先日、佐藤奈々子さんからミッドタウン日比谷の内覧会へお誘いをいただき、ご一緒させていただいた。
目的は、奈々子さんのご友人であるクリエイティブ ディレクターの南貴之さんが有隣堂さんとコラボをされた HIBIYA CENTRAL MARKET さん。
どのお店も素敵だけれど、その中に一目惚れするほどのお店があった。
それが CONVEXさんという眼鏡店(南さんが北海道から連れて来られたらしい)で、ぼくはここでつくってもらうことにした。

後日改めて訪れ、とても丁寧なスタッフさんに検眼と説明をしていただき何点かのフレームの中から選ばせてもらった。
眼鏡に特に興味もなく、老眼鏡に至っては「そんなもん、ぼくには一生必要ないわ」くらいの気持ちで10年近くも抗ってきたぼくが50歳を前にして初めて体験する、見る世界だった。

とても丁寧な若いスタッフさんを前に口にこそ出さないけれど、ぼくの内心は「見せてもらおうか、老眼鏡の性能とやらを!」だ。

試して、ビックリ・・・

「見えるぞ!私にも小さな文字が見える!」

もう気持ちは、ア・バオア・クー戦の大佐だった。
この歳になり眼鏡の初体験をして「レンズってどうなっているんですか?これ、何でこうなるんですか?」と、あれこれスタッフさんに質問していたぼくは、アホの子の様な顔をしていたに違いない。

こんなことなら、もっと早く眼鏡をつくっておけばよかったな。

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