はじめに 「気がつけば明日はぼくが生まれた日。いまのぼくと同じ年齢の母親は、花火を見ながらスイカを食べて、夏が生み出す轟音を合図にぼくは生まれた。」 このような書き出しで、1ヶ月以上ぼくの下書きコーナーに陳列された文章は、まるでコンビニの格安(型落ち)商品を雑多に並べたカゴに入っている玩具みたいだった。色褪せているとすればそこまでだが、黄色い値札で新しい値段がつけられたそれらが偶に光って見えたりする。だから拾い上げて書き続けてみることにした。 もうすぐこの世に生まれて
ぼくが毎日使う京王線の車窓からは、天国が見える。夏には間違えて盛りすぎちゃった積乱雲と、おじさんの禿げ頭、、じゃなかったスーモ🟢の大群。今は夏なんだから、夏のことしか書かないけど書かなくなってあなたは想像しているはず。秋に広がるススキ、冬には雪をかぶったスーモが寒そうにしている。 高校まで自転車通学だったぼくは、大学に行くために京王線に乗るようになった。"通学"定期は毎月新しい印字がされる。ぼくの記憶にも定期があったなら、同じようにめくりめく毎日が印字されていって、磁気切れ
noteってなに?から始まる 知人のススメでnoteを書いています。まずnoteに対するぼくのイメージから。よく似たサービスにTwitterがあると思いますが、やはり「つぶやく」っていう動作に収まらない「書きたい欲望」を吐き出すサービスなのかなと。楽しそうだなと思ってはいたものの、人様に見せられるほど理路整然とした文章を書けないし、かと言って知的好奇心をくすぐる蓄えもない私ですから、一歩踏み出せずにいたわけです。 最近めっきりTwitterを開かなくなったのは、「つぶや