失恋をした

今までのありとあらゆる経験を、最終的に自分の幸せの布石となるように持っていくためには、自分の過去に学び、過去を参照しながら未来を選ぶしかない。しかしながら、あくまでも「自分の幸せを」が前提の話である。他人と一緒に幸せを築いていくとなると話が違ってくる。過去の自分を参照すること自体がリスクになったり、幸せを願う相手と自分との相性問題になることだって多いはず。

個人的な結論としては、他人と幸せを築いていきたいのなら、自己開示より何よりもまず以下のことを意識・実践すべき。
・相手を知る
・知る姿勢を全面に出す
・迎合する

自分が相手とどういうコミュニケーションを取りたいのか」を考えて、それを実現するために会話の際の言葉の使い方を工夫したり、相手の趣味・趣向を知ったりして雑談に活かしたりするのは結構なことだが、一番大事なのはそれを受けた相手がどういう反応をしたかをちゃんと見ること。相手の反応は、自分のコミュニケーションに対するダイレクトなフィードバックであるという意識を常に持つ。
今の自分に不足しているのは、なにかものを考えたりするときの視点の数。基本的に自分視点からしかモノを見れていない。相手とコミュニケーションを取るときに、相手の発言の裏を読もうとする意識が足りない。

ちょうど、今のぼくに足りない部分が何かを端的に書かれているツイートを見つけたので貼る。

これはまさしく、好きだった人がぼくに向けて放った『君は見えてる部分のことしか頭に無いんだね』という言葉が何を意味しているかをあらわしているんだと思う。
>「相手はこうなのではないか」という仮説と、「そう見えているだけで実際は違うかもしれない」という不意打ちの可能性を含んだ緊張感のある他者への態度。
>「目の前にいるこの人には、必ず自分には見えていない側面がある」という前提で人と接すること

見えているもの、聞いたこと、実際に起きたこと、、、それらに対してぼくは常に、その表面へのコメントしかしてこなかった。なぜその洋服を選んだのか、なぜその言葉選びになったのか、なぜそういう出来事に発展したのか…。なぜを掘り下げたり、掘り下げるためのコミュニケーションを怠ってきた。そういったものを掘り下げるためにも、相手のことを知るためのコミュニケーションをもっとやる。ぼく側から一方的に話して相手からの発信を一切キャッチしようとしないコミュニケーションは、もはやコミュニケーションと呼べない。

相手を知るコミュニケーションを取るために、まずは相手が話をしているときには自分は聞き役に徹すること。聞いた話を極力メモに取ること。その中から話を縦展開していくこと。これを意識する。

失恋をした。事後に学ぶことの虚しさがある。自分の不甲斐なさ・思い至らなさ加減が招いた結果とはいえ、何が悲しくてテストの復習のようにこんなエントリーを書いているのかもわからない。もう戻ることのない関係性を前にして、ただただ悲しみに押しつぶされないようにするためだけに手を動かしている。