コテンラジオ番外編#105を聞いて

少しモヤったので思ったことを書く


僕にとってのコテンラジオ

コテンラジオを長らく聞いている。


僕がポッドキャストを知ったのはゆる言語学ラジオからであったから、


コテンラジオはゆる言から遡って知った。


歴史キュレーション番組としているが、新たな定説や客観的事実を考察するというよりも、



あくまで歴史に対する情報をコテン風味に素材として提供して、


それをどのように捉えたり、そこから何を学ぶかということを、


各々考えたり感じ取ったりしてもらう、という番組だと感じている。


「最近、真面目に偏っていておもろしくない」


という意見もあるようだが、僕としてはむしろ真面目であればあるほど考える余地があって面白く、



逆に、個人や調査チームとしてはこのような所見を得た、という話は僕にとってはあまり意味がないので、


そういうのが多めだともっとゴリゴリに記述をまとめるだけでいいのにな、と思ったりもする。


お便り回は概ね批判の回だった


コテンラジオとしては珍しいお便り回、聞いていて二つほど思ったことがあるのでそれだけ言葉にしておこうと思う。


まず一つ目、たまにルッキズムの話や女性蔑視の感が透けて見えるのが気になる、という話について。



僕はこれを聞いた時に、さもありなん、と思った。



要するに、この次のお便りでも強めのフェミニストの方が批判しておられたことにも通づるんだが、



これは恐らく現代社会で生きてきた我々が、潜在的に男性優位の世界を生きてしまっていて、



本当はそうではないよね、ということが主張され始めてしばらく時間が経ったのに、いまだにそのような男性優位の潜在意識が垣間見える瞬間があって残念だ、という話だと解釈した。



これに関しては僕が思うのは、違和感を主張する方の言うことの、全くその通りであって、



これはたとえば『動物のペニスから学ぶ人間の教訓』にも書かれていたことであるが、



たとえば生殖とは何かを調べんとするとき、男性器がどのようであるかをまず調べて、それについての比較検討から考察をするのがメジャーであるが、



そこに科学的な根拠はなく、なぜそうなったのかを考えると、社会に根付いた男性優位の価値観というのがあり、



それが研究者たちを通して顕在化された結果だ、というそんな話があって。



世の中にはそのように、無意識の領域で男性優位に捉えてしまっているモノ



というのが溢れているから、そういったことに対して一つ一つ吟味していきましょう、



ということが男女平等を謳うフェミニズムの流れとしてあると思っていて、



だからこの問題がクリアになるには個人としても社会としても時間がかかることであり、



指摘されていかないと気が付かないことでもあるから、我々は男女の隔たりなく気を配っていきましょうね、という話だと感じている。



心の中でモヤっとしたのは、つまりそのような課題であるから、過去の制作物を踏まえて、新しい投稿が少しずつ変わっていくといいね、


という話であると思ったのに、


それに対しての説明が、当該過去の発言はそのような意図ではなかったんですよ、というものが最初に来てしまったことが、


恐らく意図があまり伝わってない感があってモヤっとした。


投稿者さんが「今後も聞いていきたい」と言ったのはそういう意味が主眼にあるからだと感じたし、それに対しての返答がズレていることがとても気になった。


もちろんそのあと樋口さんが、意図してなくてもそもそも僕らがそのような蔑視の感覚を持っているという可能性があるということに触れていらっしゃったが、



僕的には幹と枝葉が逆な気がして、



そういう編集としてコンテンツを出したことに違和感があった。


ただ、圧倒的に僕の目線なので、投稿者の方もコテンの方々もそのような意図ではない可能性は十二分にあるし、


もしかしたら全然見当違いのことを言ってるのかもしれない。



こちらはある種投稿の焦点が確定していないところもあるので、その程度でよかったのだが、


個人的にはそのあとのレビューについての意見がとても気になった。



批判にどうリアクションするか


端的に言うと、リスペクトのない蔑んだコメントがレビューにあったので、そのようなコメントは聞く気が起きないし、



そう言うことをいう人、リスペクトのない人に自分たちのコンテンツを聞いて欲しいと思わないという話をなさっていた所が、



あまりにも気になりすぎてそれについて自分の考えをまとめておこうと思った。




僕が気になっているのは深井さんがおっしゃっていた所感そのものではなくて、



むしろ制作物にリスペクトがない人の意見なんか聞きたくないよね、ということは大いに同意だし、


なんなら制作物に対して絶対的にあるのは納期だけであるので、


作った人の責任とセットではあるが、何を作ろうがその人の勝手だろう、と思う。



気にしているのはそこではなくて、



そのような無礼なコメントをラジオで取り上げたことである。



これが例えば、XのようなSNS上の空間ならいくらでも戦っていいと思うし、ラジオに送られたお便りでボロカス言っているなら、



それは取り上げられてボロカスいじられるのは仕方ないと思うが、



今回は、ポッドキャストのレビューに書かれていたことをピックアップして晒し上げた、という形であって、



僕はこれはやっちゃダメなことなんじゃないかと思う。



なぜなら、レビューというのはその対象に思ったことを自由に書いていい場所であり、時に感情が乗るものであり、



そして我々は、それを読む時に、書いた人の立場や思想に共感できるかどうかを吟味できなければ機能しないものだからだ。



だから、ボロカスこき下ろしてくる人がいて、そういう人には聞いてほしくないなら、



レビューにそういうことを書く人、それに共感する人を未然にスクリーニングできるという事であり、


また、そのように蔑んだコメントによって着手を左右されてしまうことがあるなら、それはコンテンツの問題ではなくユーザー側の問題なので、


やはりそのようなレビューを書いてはいけないとか、ましてやそういうレビューを取り上げて拒否する、ということをわざわざコンテンツに乗っけることに大変な違和感があった。



少なくとも、スタンスを批判するなら中身を詳細にあげる必要はないし、拒否するよ、という姿勢を明示したいとしても、



レビューやコメントについて、少しだけ思うところがありまして、と優しい言い方に出来たんじゃないかと感じた。



深井さんがわりと断定的な口調でスタンスを表明している一方で、ヤンヤンさんが柔らかい言葉でそれを補っているのがとても印象的で、



ヤンヤンさんのような言い方でスタンスを表明して、深井さんのような言い方でそれを補う方がいいよなあ、思って、



コテンラジオの構成って結構そういうふうに作られてることが多かった印象というか、


どのように伝わるかにとても神経を遣っている印象があったので、


なんでそこだけ、ととても気になった。



もちろんクソミソ書いてるレビューを礼賛する気は僕にも毛頭なくて、リスペクトがあった方が当然いいのだが(その方が実際デベロッパーに伝わる)、



そういうクソミソレビュー自体はレビューには書かれるんだよね、ということを飲み込んで欲しいなあという気持ちと、



SNSでぶっ込まれたわけでもないのに一方的に晒しあげることをGOしたということに、



個人的には残念な気持ちになった。



昔言われていた、深井龍之介が皇帝化していないか?というおもろい指摘が脳をよぎったりもしたが、



中の人たちはどのように感じていたんだろうか?



僕はコテンラジオがとても好きだし、次回作が徳川豊臣だと言われてわぁ!って声出たくらいに楽しみにしているから、



今後とも楽しいコンテンツを提供してくれたら嬉しいなあと思うばかりだ。

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