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読書記録(羅列版)〜リタイヤした小説編

2ヶ月ほど前、「つまらない本のあきらめ時」という投稿をした。
読み始めたものの退屈極まりない本をどこまで引っ張って、どういうタイミングで放り出すか。その見極めが難しいという内容だった。

大量消費派かつ乱読派なもので、中には最後まで読まないまま放り出してしまうものもある。
放り出す理由もさまざまだが、そういう読書記録も面白そうだと思いたった次第。何の役にも立たないけれど、自分がどこに引っかかってしまったのかを明らかにしておくのは悪いことでもなさそうだ。

というわけで今回の読書記録は、最近手をつけた中で途中でリタイアしたものばかりを集めてみた。

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『どうして書くの?—— 穂村弘対談集』 穂村 弘

歌人穂村弘が高橋源一郎、川上弘美、長嶋有、山崎ナオコーラらの「書く人」と交わした対談集。
対談相手に惹かれて読み始めたのだけれど、そもそも歌人という者が何者であるのか、短歌とはいかなるものであるのかをまったく知らないままで読んでしまったがために、対談の内容が今ひとつピンとこなくて、あっけなくリタイヤ。
対談中に過去の著作がわりにポンポンと登場してくるのだが、それが対談を読み解く際には結構なキーになっているために、読んでなければわからないのがなかなかにしんどくて、放り出してしまった。残念。

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『線は、僕を描く』 砥上裕將

本屋大賞でも3位に入っていたことを知っていて、そのうちに読もうと楽しみにしていた。
小説の始まり近くのところで、寸前まで会話していた登場人物がいなくなる描写があって、それを著者が地の文で「**が消えた」と書いていることが引っかかって、早々にリタイヤ。
一人称で書かれている小説で、目の前にいた人間がいなくなっていたなら地の文では「**は姿を消していた」あるいは「**はいなくなっていた」と書いた方が自然。魔法使いが出てくるようなファンタジーならともかく、主人公の「僕」の心理表現でもないところでいきなり「消えた」と書いてあることへの違和感は大きい。凡庸な比喩であっても「煙のように消えた」とか「宇宙人に拐われたかのように消えた」等々の書き方がなされていればまだしも、何もないままいきなり「**は消えた」というのは僕には引っかかりが強過ぎて、そこから先は1行も読む気にならなかった。
効果を狙っていてこういう書き方をしているのかもしれないとも思ったが、やり口があざとくて雑に思えてしまったのだった。
僕が些細なところに引っかかり過ぎなのがいちばんの原因なのだが、楽しみにしていただけに残念。

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『ベルリンは晴れているか』 深緑野分

第二次大戦終結直後のベルリンが舞台で、主人公がドイツ人の少女となれば、冒険小説に必要な要素は揃ったも同然で、大きな期待とともに読み始めたが、前半の4分の1ほどでリタイヤ。
要因の一つは文体。女性作家の小説には時々ある読みにくさで、読み進めるのが少々しんどかったのがリタイヤの遠因ではある。でも文体の合う合わないは誰が悪いわけでもない。悪いといえば運が悪かったくらいのもの。
いちばん大きな要因は「いつになったら本題に入って行くのか」が全然見えてこなかったこと。何やら犯人探しをする小説だという事前の情報は持っていたのだが、どこまで行っても核心的な事件は起こらない。いや、知らぬ間に起きていて、そのトラブルにゆっくりと巻き込まれていく構造だったのかもしれないが、展開速度がゆっくり過ぎて待ちきれなかった。
ジャック・ヒギンズやアリステア・マクリーンといった2次大戦時のヨーロッパを舞台にした冒険小説をたんまり読んでいたのが悪く影響したかもしれない。でもジャック・ヒギンズらと同じ土俵で読まれることを考えたら、やはりもっと序盤でドイツ降伏直後のベルリンの状況の説明や、物語の中心になる事件等の背景を作中に織り交ぜないと、読む側は置いてけぼりになる。説明や背景を物語中に織り込むのは技術がいるのだろうけど。
この「なかなか始まらない」感は高村薫の小説を読んだ時 —— そしてリタイヤした時 —— に受けた感覚と似ている気がする。反りが合わないわけではないのだろうけど、苦手なパターンだった。

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『烏に単は似合わない』 阿部 智里

人気シリーズだと聞いて、食わず嫌いでいるのもなんだなと興味半分で手を出して、予感した通り早々にリタイヤした。
ファンタジー小説にせよサイエンス・フィクションにせよ、スペースオペラにせよ、小説世界を話の本筋からは遠く離れる部分まで無駄に作り込むこと、その完成度合いが作品全体にリアリティをもたらすのだと思うが、残念ながら僕には構築の度合いが非常に緩く甘く感じた。
「世界観」という言葉をここで使うのは誤用でしかないので、「小説世界」というが、小説世界の構築は男性作家の方が緻密な感じがする。
もちろん雑な男性作家もいるけれど、人気シリーズになったものは論理的な矛盾を起こさないように、あらかじめ詳細に作り込んであるように思う。そういう重箱の隅までぎっちり詰め込むのは男性の方が得意なのかもしれない。
本作での小説世界は国宝の『洛中洛外図屏風』みたいにそこここが雲で覆われて見えなくなっているような、世界の端っこまで行ったら書き割りの壁が立っているような感じで、その隙間の多さにリタイアしたのであった。
同じような違和感は小野不由美さんの人気シリーズ『十二国記』でも感じることがままある。
作家の女性性が要因になって微に入り細に入った小説世界を構築できないというより、そもそもそんな細かいことは女性は気にならないというだけのことなのかもしれない。もしそうだとしたら、それはそれでかなり興味深い。

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