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読書記録 『小説作法』 片岡義男

久しぶりに片岡義男の『小説作法』を読み返す。
「小説作法」というタイトルだが、ありがちな創作指南とはまったく違い、これまでに発表された短編小説から選りすぐり、冒頭に創作・執筆の背景や見解を一言だけ添えたものになっている。

僕らの世代では片岡義男はある種「時代のアイコン」のような役割を示す作家だ。
同時代の作家というなら村上春樹と村上龍は、まさに同時代にデビューして、並走してきた作家と言えるのだが、片岡義男はひと世代上(片岡さんは亡父と年齢も一つしか違わない)で、時代の雰囲気を構成する一部になっていた作家だ。
それだけに当時のティーンエイジの少年たちが受けた影響も大きい。
片岡義男の描く小説世界と僕の日常はかけ離れたものだったけれど、何に関心を持つか、どう受け取るか、何に魅力を感じるか、は片岡義男の作るストーリーに感化されたところは大きい。有り体に言えば、僕を構成するある部分は片岡義男の小説によって出来上がっているし、咀嚼し、吸収してしまった結果、その一部はDNAに書き込まれてしまったようにすら思う。

「起承転結」というような明確なストーリーがあるわけではなく、主人公があからさまに成長するわけでもない。
小説の体裁を取ったロードムービーであり、作者の眼が映画を撮るカメラのレンズの視点そのものという、一般の小説指南で取り上げる「良い小説」の見本とはかけ離れた作風だ。

読み手としての僕は礼儀正しくダイナミックな起承転結の小説も好きだし、夢中になって読むけれど、好みとしては一つのシークエンスだけを切り出したような片岡義男の昔の短編の方が受け取りやすい。
それはやはり題材とテーマがどこか似てきてしまうパターン化した小説のあり方に飽きる瞬間が定期的に訪れるからなのだと思う。
それよりも、小説になりそうなシークエンスを見つけ、それを短編としてまとめる——読了後の満足感というか、充足感、達成感というものよりも、シークエンスを蒐集するような感覚を僕は楽しんでいるのだと思う。

本書でも片岡さん自身が何度となく書いているが、その作り方は極めて写真的で、まあまあの深度まで写真をやっていた僕にはフィットするのかもしれない。後先で言えば片岡義男が先で、写真が後なのだけれど。

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