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その答えは

もう日本全体に行き渡ったのか、最近では「ググれ」と言うのを聞かなくなった。
先日も、ちょっとした贈り物を包装するのに、まずやったことと言えばYouTubeで斜め包みの動画を見ること。全てがアテになるわけではないが、知の共有は僕が少年だった頃には想像すらしなかったほどに当たり前のことになった。

核家族化がどんどんと進み、コロナで家族ですら感染のリスクを背負いながら生活している今、人との分断は進むばかり。
望んでそうなっているわけではないけれど、それでもどうにか社会が病みきらずに保たれているのは、ある部分をネットの情報やSNSが担っているからなのかもしれない。
人との接触機会は随分と減ってしまったけれど、それでも個人的には完全な孤立からは程遠い感じだし、これはこれで「ニューノーマル」ってヤツなのかと納得してしまうところもある。

昔は「おばあちゃんの知恵」なんて言われて、世間が忘れ去ってしまったものを貴重なものと思われるフシがあった。
確かに世の中にはあまりに多くのことが行き交いすぎて、ささやかだけど役に立つ知恵は、その中に埋没して、やがては忘れられてしまうのも仕方がないと思っていた。
ネットは埋没してしまうおばあちゃんの知恵を救う手立てでもあるんだろうが、あまりに救いすぎて、現代社会ではおばあちゃんの存在価値が薄れてしまっているんじゃないかと心配になる(余計なお世話だが)。

そんな話を80になる母にしたら「いまの年寄りは昔の人ほど物を知らないからねえ」と、一言で片付けられてしまった。
「自分はどうなの?」と聞き返そうとしたけれど、帰ってくる答えは「もう忘れちゃったわよ」だろうと想像がついたので、聞きもしなかったのだが、母は聞かれもしないうちに「今はわからなければネットで調べられるからねえ」と言った。
情報の共有はここまで来たのかと驚きつつ、昔なら「答えは風に吹かれている」はずだったんだけどなあ、と思ったのだった。

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