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ライターズ・ブロック

「小説が書けなくなってしまった」
と、書くと、自身で物語を作っている方ならすぐに「ああ、ライターズ・ブロックか」と思い浮かべるんじゃないかと思う。
だが今、僕が置かれている状況はいわゆる「ライターズ・ブロック」とはいささか違う。
同じクラブに属するフォワードとゴールキーパー(キャッチャーと外野手でもいいのだが)のような、「書けない」という結果は同じでも、そこに至るプロセスが「同じだけど違う」。書けないのは小説だけなのだ。

ライターズ・ブロックをウィキペディアで漁ってみると「主に執筆に関して、作家が新しい作品を生み出す能力を失ったり、創作上の低迷を経験したりする状態」とある。
解説文を読んでもやっぱり「キャッチャーと外野手」的な似て非なるモノ感がある。
アイデアはいつでもどこででも湧いてくるし、定置網を仕掛けているわけでもないのに、向こうから勝手に引っかかってくる(漁網と同じく、大半は雑魚外道の類なのも確かだけれど)。
素材はわんさかあるのに、お決まりの方法で調理をしても、最終的に料理にならないのである。

これが単なる料理下手で、生煮えであるとか、茹ですぎであるとか、煮崩れ、焦げ付き、味付けの失敗ならまだしも、鍋に入れて火にかけても、油を敷いて炒めても、一向に火が通らない——小説の体裁にならないのだ。

今は亡きプロ野球の野村監督が「下手にスランプはない」と断言されていたのを思い出す。
まったくおっしゃる通りなのだが、技術等々に足りないもの、拙いものがあるのは間違いない。でも、どんな下手でもバッターボックスでバットを振れば、少なくとも野球にはなるはずなのに、人気のないところで傘をクラブに見立てて下手なスイング練習をしているおじさんにすらならないのだ。これにはほとほと困っている。

人生の残り時間がふんだんにあるわけでもないので、あれこれ手をこまねいているわけにもいかない。
「小説を書かなくても死ぬわけじゃない」と言ってしまっては寂しいものがあるが、わからない原因を探している暇があったら、書ける他のことを書けばいいと思っているのも確か。
電波暗室じゃないんだから、世間のあれこれや読み終えた本があれば、何かしら感じるものはある。壁打ちテニスの壁だってボールが当たれば跳ね返してくるのだ。
当面は跳ね返ったボールのことをポツポツと書くなり、浮かんだアイデアをとりあえず書き留めるなりするしかないのかもしれないなあと感じている。
困ったものですねえ。

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