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カーテンと心とがつながっている

朝、自分の作業スペースのカーテンを開けながら、ふと「今日はいい感じ」と言葉にした。

考えてみたらカーテンを開けたくない時と、開けたい時があって、私の中では結構決定的に違う気がする。

カーテン付近の散らかり具合とか、カーテン越しに外から見える位置(と言っても基本はレースカーテンで見えないのだけど)の散らかり具合を見て、私は調子を判断しているのだろう。

カーテンと心は私の中で繋がっている。
外の世界とのつながりを堂々と持てるか、卑屈になるかの違いとして。


灯りも同じ。

私は台所ですら暗い状態で作業をするのだけど、散らかっているか卑屈になっている時だ。「ほら、ここ汚れているよ」とダメ出しをしてしまう。灯りは、見えない誰かから指差しで伝えられているような気がする。

そもそも片付けが苦手だ。センスもない。本が好きで、書類はためがち。食材もまとめて買うので、置き場がないときは作業台の上に所狭しと置く。

劣等感をカーテンと灯りが触発する。


日常に当たり前にその作業を溶け込ませることができない。片付けも整理もアドレナリンを必要とする。多分それはエナジードリンクの強烈なやつを飲むのと同じくらい。当然終わったあとは疲れる。

では今日はなぜ「いい感じ」と思ったか。

別に散乱具合は昨日と変わらないのだけど。

今日これからパソコンで会計処理作業をするからだ。
長年の懸案材料にようやく取り掛かる。覚悟を決めたということは、今アドレナリンを大量に放出して戦闘モードなのだろう。

そりゃ、カーテンをスパッと開けるよね。なんなら、レースも開けて堂々と作業するよね。

戦ってきます。










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