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いつおかマガジン 第6回 「祭のスタッフが『ADHDとどう向かい合ってるのか』について語り合ってみた」

【はじめに】

弊社の広報担当である「くらげ」(以下「く」)とエンジニアである「h-michael」はともに「ADHD」と診断されていて、治療薬を服用しています。

そのことを弊社Slackで話していた内容がとても有益だったので、編集したものを双方の許可を得て公開いたします。ADHDの困りごとやあまり理解されない悩みをぜひご覧ください。

[注意] ADHDの治療薬の効果については個人差があり、このnoteではあくまでも個人の体験の話となります。また、絶対に医者の処方なしでの服薬などはおやめください。

【本文】

[h] 今朝はコンサータを飲み忘れてたからぼけーっとしてるので、効いてきたら仕様の確認を始めたいところです。

[く] コンサータは朝に飲み忘れるとボーッとなりますよね…。

[h] あれ、くらげさんもコンサータを服用してますか?

[く] 自分はコンサータとストラテラ併用していたんですね。服用していると異常な眠気をおさえたり、集中力を普通の仕事ができる程度に持っていけたのですが、薬が切れたあとの疲労感が半端ないので先生と相談の上で断薬しました。

[h] そうなんですか、自分は効きが丁度いいのかな?もう、かれこれ10年弱服用してるので、服用を始める前の状態が今の服用を忘れたときと同じ状態だったのかもう思い出せないんですよね…。

[く] 自分もストラテラが効く前の自分が全然思い出せないですね…。

[h] しかし、こんな身近にコンサータの経験者がいたんですね!実はコンサータ服用者/経験者と話してみたかったんですよね。やっぱりこの薬に助けられてはいるけど思うところはいっぱいあって…。そんなことは思わなくていいのは頭でわかっているのですが、正直、コンサータ飲んでることにどこかで罪悪感というか後ろめたさがあるんです。

[h] わかります!わかります!「この薬を飲んでる自分は本当の自分なのか」みたいな葛藤もありますよね!かなり強力に人格改造されてる実感がやばい(笑)

[h] ほんとそれです!!!これだけはADHDの薬を飲んだことない人には話しても理解できないことなので。

[く] なんというか「受容」みたいなところなんでしょうかね?

[h] そうですね、まずは「果たして服用時とそうでないときは同じ人間なのだろうか」と考えてしまって…。自分は合法的にドーピングしてるような気になって後ろめたさがあるんですね。

[く] あー、なまじっか効いちゃってるから、「効いてしまった罪悪感」みたいなのですかね?

[h] それもありますが、それ以上に薬が効いたことによって、その前の自分はなにかが欠けてたのかなって少し思ってしまいました。

[く] なにかが「欠けている」から発達障害なのは間違いないんですよね。でも、それを認めることが過去の自分を否定するようで辛い、というのはとてもよくわかります。

[h] そうなんですよ、過去の自分を否定するような気持ちはやっぱり出てきてしまうし…。また、今の自分が何かをうまくできたり結果を出せたりしたとしても心のどこかで「俺はずるしてるからこの結果がでたんだ」って思ってます。

[く] 本当はそう思う必要はないはずなんですけど、さっきの話にも出ていた「ドーピング」の感じでしょうね。私は聴覚障害もあって、人工内耳をつけていないと本当に何も聞こえないんですよ、でも、人工内耳を入れると電話もできちゃうので、このギャップというか「ずるしている」という気持ちはすごくあります。人工内耳が「たまたま適合しただけ」という気持ちはすごくあるんですよね。だからなんか聞こえなくて苦しんでいる人たちにたいして申し訳ないみたいなのはすごくあります。

[h] そうなんですか。自分はなんだろう、コンサータを飲むとぼーっとした感じが改善するので社会という競技のなかでドーピングしてる感覚なんです。でも、「ドーピングしないと負ける」という事実もあって、それにへこむというか…。結果として、すごく自尊心が削られてるんです。

[く] 公正公平に戦えないなぁ、みたいな?

[h] それです!

[く] そのへんでいうと、もう私ガッツリ「障害者」なんで、hさんほどには悩んでないかもしれません。自尊心などすでに削りきれて、薬や人工内耳でやっと取り戻しつつある過程というか、後ろめたさはあるんですけど、薬や人工内耳でやっと人間をやれてるな…みたいな。

[h] なるほど、凄く響きました。そもそも、医学的な意味では「障碍者」と社会が言う「健常者」の境で自分は何なんだろうみたいな気持ちがあります。発達「障害」って何?って考えても仕方ないけど考えちゃいます。

[く] hさんは「凹凸の凸も多いけど凹も深いところがあってそこに足を取られている」という感じですけど、医学的な区分とか一般社会の基準だと「全部が凹」みたいなのが基準になるじゃないですか、凸があるからいいじゃねぇか、みたいな。コンサータを飲むことって、凹をある程度フラットにするくらいだと思うんですけどねー、それだと凸がプラスされるので「お得感」が出ちゃうんだと思います。そういう「お得感」が罪悪感になってるのかもしれませんねぇ。

[h] あー!その、「お得感」って言葉はしっくりきますね。凹を口にするために薬服用してるけどそこ通り過ぎて凸になってない?みたいなのあります。

[く] そこは私は全体的に凹なので、均しているくらいの感じで済むんですけどね。ただ、このへんの感覚って、まさに「受容」していくしか無いと思うんですよ。ただ、ADHDの薬が無意味かというかまったく逆で、効果が出ているからこそ悩むことなんですよね。今度は「自分が抱えるADHDの症状」みたいなところと向き合ってみて、薬の功罪みたいなところを考えてみたいのですが、いかがでしょうか?

[h] それは面白いですね!そういえば、自分のADHDついて真正面から言葉にする、というのはあまりなかったですね。

[く] この先も、この話題を続けて、hさんが生きやすくなるように一緒に考えて行きたいですね。

[h] ぜひ!これからもよろしくお願いいたします!


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