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結果か過程か。どちらも自分のもの。


「結果がすべて」

実力主義を謳う母親に対して、
私はずっと反抗してきた。


当時、力も言葉もなにも及ばなかった私は、

結果より過程が大切だと信じたかった。


母親に勝てる勝ち筋がほしかったんだと思う。

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地元の公立の中学校をほぼオール5で卒業。

高校は公立の進学校に合格して、
成績はキープし、3年の頃は学年4位に。
国公立大の公募推薦枠をもらえたし、

部活動は県大会の常連で、個人で県11位。
トップ10入りを逃して泣いた。

大学は4年で卒業して、国家試験に合格。
新卒の職場で数々の部署を経験した。

5年勤めて転職し、1年あまり。

今では昇給し、役職をもらっている。

これが私の表向きの経歴であり、結果。

いまの会社の方は、
私が昔から優等生街道を歩んできたと
思ってくださっているようだけど。

実は、この結果の裏にある過程は
まったくきれいなものじゃない。

実際、高校はカンニング犯という
抜け衣を着せられて不登校になったし、
部活では同期と折りが合わず孤立していた。

国公立大は推薦に落ちてしまったから、
学部も何もかも違う、
たまたま受けた滑り止めの大学に進学した。

理由は、進学校の卒業生として、
学校は大学に進まないことを
許してくれなかったから。ただそれだけ。

進学した大学の授業は興味が持てず、
バイトと遊びに明け暮れる毎日。

たまに出席しても寝てるだけ。
テストは当然赤点だらけ。
いつも単位は教授の下駄を履いていた。

留年したら退学することが目に見えていたらしい。
そんな教授なりの救済措置だった。

それなのに、
実習もゼミも、仮病を使って、
旅行に行ったりしてた(クズ)。

新卒の職場は酷いパワハラ、モラハラで、
毎日吐きながら出勤する毎日。

そんな毎日に耐えられなくなって、
部署異動を繰り返しただけ。

勤続年数が長くなったのは、
逃げる勇気がなかっただけ。


過程だけを見れば、

私なんて大したことないし、
ましてや結果こそ誇れたものではない。
根っからのぽんこつ気質だとさえ思っている。

でも、

これだけの過程を積んだからこそ
学べたこともたくさんあったと

今なら胸を張って言える。



どんなに救いようのない過程だとしても、

結果は作れるものだと思う。


結果か過程かのどちらか一方が大切なわけではなくて

どちらも自分が培ってきたもの。
自分の糧になるものだと思う。


母親を負かせずに泣いたあの日から15年。
母親から離れて10年。


今でこそ母に勝とうなんて気持ちはないけど、

「結果がすべてじゃない」

と、ちょっとは胸張って言えるかな。

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