「直向き」の読み方と意味を教えてくれた恩師

私には、恩師と呼べる先生がひとりだけいます。
小学6年生の時の担任の先生です。

通知表に「直向き」という言葉を書いてくれた先生に、
私は、「先生、漢字が間違っていたよ。『まえむき』って字が」と言いました。
すると先生は、「あれは『ひたむき』って読むんだよ。(私の名前)が前向きなわけないじゃん」と言ったのです。

私はその時初めて、「私は直向きであって、前向きではないんだ」と知ったのです。

そもそも小学6年生の私が知っている言葉と言えば、「前向き」と「後ろ向き」くらいだったかもしれません。
初めて「直向き(ひたむき)」という言葉を自分の中で噛み締めた時、これは私を表す言葉なんだとうれしくなったものです。
と同時に、先生から見て、私は決して前向きな児童ではなかったんだ、ということも知ったのです。

私は、家では明るくよくしゃべり、うるさいくらいでしたが、学校に行くと、猫をかぶり、なかなか自分を表現できないおとなしい子どもでした。

小学6年生になり、担任の先生になったその恩師は、当時27歳で若く、真冬でも児童と同じく半袖短パンで過ごす、学校でも人気の先生でした。

たいてい先生というものは、クラスの中心にいるような児童ばかりに目をかけ、おとなしく教室の端っこにいるような児童には、あまり振り向いてくれません。若い先生ならなおのこと。目にかけられた児童は、先生と過ごす時間も多いので、親しく会話をしますが、接触時間の少ない児童は、たまに話すことがあれば緊張してうまく話せないのです。先生と気軽に話をすることができるクラスメイトをうらやましく思っていました。

しかし、その先生は、私を見つけ、深く向き合ってくれました。

何がきっかけだったのかと振り返れば、マラソン大会でしょうか。
ずっと学年で2位だった私が5年生の時に9位にまで順位を落としてしまった話を、どういう流れか家庭訪問の際にしたら、「じゃあ、今年は優勝だ!」と、目標を共有してくれたのです。

先生が私の個人的な目標を共有して、一緒に頑張ろうと言ってくれたのは初めてのことだったのでとてもうれしく、この先生の期待に応えたい、頑張るぞ!と思ったことを今でも覚えています。

走ると言えば、運動会のリレー練習の思い出も蘇ります。
足が速かった私は、リレーのクラス代表に選ばれていました。
1年生から6年生までの代表が1チームになり、クラス対抗で競うのです。

ある昼休み、チームの顔合わせとバトン受け渡しの練習などのため、代表児童が集まって予行演習をするという機会がありました。
1年生女子から男子へと学年順に走り始め、6年生女子の私は、アンカー手前。1位のチームとは10メートル以上の差で2位につけてバトンをもらいました。

スタート直前、恩師は私に言ったのです。
「川上を抜け」

1位を走っていた川上さんという女の子を猛ダッシュで抜けというのです。

いやいや、これは予行演習で、みんな本気ではなく流しながら走っているのに、運動会本番に向けて川上さんにプレッシャーをかける意味で抜かしておけと。
しかし、先生の顔はいたって真剣でした。

私は、すっかり先生を信じていたので、洗脳されたかのように、一瞬の恥ずかしさも忘れて猛ダッシュで走り、次の児童にバトンを渡す直前で抜いてやったのです。

周りからは、なんであんなに本気で走っているんだろうと思われたはずです。
でも、先生はよくやったとばかりに、走り終わった私の肩をたたきました。私もそれで満足だったのです。

猫をかぶり、目立たない児童だった私ですが、6年生だった1年間だけは、憧れだったクラスの中心にいた気がします。唯一、キラキラとした学生時代。
その証拠に、クラスのランキングというもので、「アホなひと第3位」に選ばれるまでに成長したのです。
(アホな人=おもしろいひと。
ちなみに2位はクラス1ひょうきんな男子児童、1位は担任の先生でした)
このことからも、猫は脱ぎ捨てて、教室でも明るく元気な本来の私でいられたことがわかると思います。

また、先生は、私を下の名前で呼んでいました。
今までは、「〇〇さん」と苗字で呼ばれていたので、他の先生と大きく違うところでした。
それも深い関係が築かれていたからこそ、呼び捨てで呼べるし、呼ばれても嫌ではなかったのだと思います。

卒業間近のある日、先生は私に、「(私の名前)は、結果じゃなく過程を大事にしているのが、他のクラスメイトと違うところだ」と話してくれました。

幼い私は、「過程」と「結果」というものを意識したこともなかったのですが、なんだかとてもうれしかったことを覚えています。

私は、結果ではなく、過程を大切にして直向きに生きるひとなんだ。

優勝を目指したマラソン大会は、7位という結果でした。
しかし、大会までの間、早朝から走る練習をして、なぜか朝6時には職員室に出勤していた先生も、その姿を見てくれていました。
その他にも、6年生という多感な1年間には、さまざまな出来事がありましたが、先生は私をしっかりと見ていてくれたのです。

「直向き」という言葉の読み方と意味を教えてくれた先生。
その言葉は、私の人生のあらゆる場面で支えとなっています。

卒業後は、年賀状だけのやりとりですが、もう25年以上も続いています。
27歳の若くて人気者だった先生は、数年前から地元の小学校で校長先生をしています。
今はもう、さすがに半袖短パンではないだろうか。

これからも先生が気付かせてくれた直向きさを失わず、歩んでいきたいです。

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