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アートにおける上品と下品

*今回はFacebookメッセンジャーからリクエストをいただきましたので、「アートにおける上品と下品」について書いてみます。

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一般に「下品」という言葉はあまり良い意味では使われませんが、「あの人は下品だ」とか「この作品は下品だ」などいうと悪口になるわけです。

一方で「上品」は基本的に褒め言葉ではありますが、「あの人は上品だ」とか「この品物は上品だ」のように、ともすれば一般庶民から遊離した上流階級の価値観をあらわし、嫌味な悪口に転化する可能性もあります。

しかしアートと言うものの本来性を考えると、それは「上流階級のための上品なもの」であったのです。

ここで言う「本来性」とは古典文明を指しておりますが、約10000年前に発生した文明は基本的に階級社会であり、その中でアートも「上流階級のための上品なもの」として発展してきたのです。

ところが今から200年ほど前、産業革命や市民革命などが起き、古典文明の階級社会がひっくり返り、「近代文明」へと転化したのです。

ですから古典文明において「上品なもの」であったアートは、近代文明において「下品なもの」に転化した、と大枠では言えるのです。

実際、近代絵画の先駆けと言われるエドゥアール・マネの作品は、当時の良識ある人々から「下品だ」と言う批判を浴び、それに続くマネやルノワールをはじめとする印象派の画家たちも、マネの「下品路線」を継承したのです。

エドゥアール・マネ『アブサンを飲む男(英語版)』1859年
油彩、キャンバス、180.5 × 105.6 cm。


さて、マネの絵画作品は、どこが下品だとされたのか?

まず1859年、マネが最初にサロン(サロン・ド・パリ=官展)に出品した『アブサンを飲む男』は、アブサンという当時庶民の間で流行っていた安酒を飲むアル中の男を描いていて、しかもその酒瓶が足元に転がっているのが「下品」だと非難されたのです。

また描き方も雑で、下描きのようだとも言われましたが、ヨーロッパ伝統の写実絵画は「理想」に向かって細密に描く「上品なもの」であったため、マネの雑で投げやりな描き方も「下品」そのものであったのです。

エドゥアール・マネ『草上の昼食』1862年–1863年
油彩、カンヴァス、208 × 265.5 cm

その後の1863年、マネがサロンに出品した『草上の昼食』はさらなる大バッシングを受けましたが、これはピクニックをする二人の男性に加えて、裸の女性が脱ぎ捨てられた衣服と共に「現実として」描かれていたため、当時としては並外れて「下品」だとされたからです。

アレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生』 1863年
油彩、キャンバス、130 × 225 cm


ところがこの『草上の昼食』と同じ年にサロンで大絶賛を浴びたアレクサンドル・カバネルの『ヴィーナスの誕生』を見ると、官能的な裸の女性がゴロッと横たわっており、その意味で『草上の昼食』以上のエロ絵画なのです。

しかしカバネルの作品はあくまで「ヴィーナス」という神話上の女神を理想像として描き出すという「建前」がありましたし、そのために繊細で細密で「上品」な描法が使われていたのでした。

そして、そのような建前の元に描かれた女性の裸体画はサロンに多く出品されていたし、歴史的にも繰り返し描かれてきたのです。

このような伝統に対しマネは一切の「建前」を取っ払い、あけすけな現実の女性の姿を、軽妙なタッチで描いたのです。

フランス革命直前の旧体制を批判した風刺画

ここまでくると、マネがなぜ当時の社会風潮に反して「下品」を目指したのかが分かってきます。

そもそも近代的市民社会が成立するきっかけとなったフランス革命は、当時の王侯貴族たちの「建前」があまりに酷かったため、それに対する不満が爆発して起きたのでした。

フランスの王侯貴族は文字通りの上流階級で「上品」な存在ではありましたが、一方では自らの贅沢を叶いたいという「下品」な欲望によって、大多数の一般庶民を搾取し苦しませるという「下品」な行いをしていたのです。

これで明らかになったのは、人間とは本質的に「下品」な存在であり、それは上流階級も下層階級も変わらない、ということです。

そして自らの「下品」を抑圧すればするほど、上品な建前のもとに「下品」が暴走し、とてつもなく残虐で理不尽な状況が生まれるのです。

マネはこのような構造がフランス革命後のサロンに色濃く残っているのを見抜き、アートにも革命を起こすべく、「下品」な表現を突きつけたのです。

はじめに述べたとおり、現代でも「下品」は否定的に捉えられますが、一方で「下品」とは人間個人の「自由」そのものでもあります。

反対に「上品」は良いことのようですが、一方で「上品」とは「社会的拘束」そのものであり、個人の自由を奪い抑圧するものです。

実際に近代以前の人々は、王侯貴族から庶民に至るまで、さまざまなモラルによって縛られていました。

ヨーロッパでは特にキリスト教的な「性」に関するモラル(禁止事項)が非常に厳しく、さらに近代になって自由な社会が実現するにつれ、伝統的かつ非合理なモラルとの乖離に悩む人が続出し、それでフロイトやユングなどによる精神治療も発達することになったのです。

そして19世紀のサロンは、せっかくフランス革命を経た世の中なのにも関わらず、非合理的なモラルや無意味な建前が横行する旧弊然とした世界が続いており、その破壊をモネは目論んで「下品」で立ち向かったのです。

ですからまずマネの裸体画は素直に「下品」だと言って良いし、だからこそなんの拘束も建前もない、あけすけの「自由」が描かれていることを見なければならないのです。