こりゃだめだと腹をくくる時
高齢者とのつきあいで、こりゃだめだと腹をくくる時は、急にやってきた。
実チチは、母が急逝し家事を教えていた時。なんども話しても、覚えられない。同じ質問を繰り返す。イライラして「さっきも言ったけど」と刺々しく、説明を繰り返すと「申し訳ない」と背中を丸める。いかんいかんとクールダウンして話す速度を緩め、丁寧に説明する。
しかし、忘れる。また同じことを聞いてきた。
こりゃだめだとその時、腹をくくった。
教えても無駄、どうせ忘れるし、と思わないことにした。
これは果たして何度で覚えるかの実験か、どうやって教えたら理解できるかの実験なのだと思うことにした。
そこからは、あちゃー4回目ですよと嫌味のひとつは出ちゃうけど、気長に何度も教えることができている。
何度目かで覚えて、できているのを見ると、しめしめと心の中で喜んでいたりする。娘としては「やっとできたね」の嫌味はしっかり飛ばしておくが。
義理ハハの腹をくくった時も、同じように、何度も同じことを聞いてきたり、何度も同じ話を繰り返してきた時、同じ話はほんの数分でまた再放送してくるもんだから、再々放送の時に「聞きましたよーもう2回も」と言ってみたけど、「それでね!」と話を続けるもんだから、腹をくくった。
同じ話をしてきた時は、聞いたとはもう言わずに、話させておく。へーとかふーんとかあしらいながら。一字一句変わらない時は、完璧な再放送だなぁと感心したり、話が変わってきている時は、ちょっと今日は盛り気味と勝手に評価して、おもしろがっている。
ばかにしているだけじゃなく、そうじゃないと、受ける方はもたないと思う。
なんせ、できないことやあまりよくないことにも、つきあうということに腹をくくったのだから、その不毛なことにイライラしても、仕方ないのだ。
多分、以前から、少しづつ物忘れが多くなったり、同じ話を繰り返していたのだとは思う。ただ、実チチとも義理ハハとも、そこまで関わってなく、彼らは彼らで達者に暮らしていて欲しいというスタンスだったから彼らの変化に気がついていなかっただけだと思う。
それが急にお世話しなきゃならないという状態になって、いざ話すとこちらの話が通じないわ、あちらの話は見えない上に長いわ、というので、イライラしていただけだ。もっと前から関わっていれば、もうちいと寛容だったのかなとも反省。
一方で、もうだめだと腹をくくれたのは、急激にタッチ率があがったからかもしれないとも思っている。