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ありがとうの瞬発力

職場で差し入れをしてくれる上司がいるんです。
近くのコンビニで買った珈琲缶。
同僚は「そんなことしなくていいのに」、と
恐縮しながら言う。
僕はと言うと、躊躇なく嬉しいといった様子で少し声のトーンを上げることを意識しながら
「ありがとうございます!」と言う。
言えるようになった。
そういう風に訓練したんです。

 何かをしてもらった時に否定ではなく
ありがとうと言える人間になりたかったのだ。
内心では、僕なんかに何かをしてもらうような価値はないと思っている。
他人にしてもらうことに何一つ当たり前のことはない。
それを、おくびにも出さずありがとうございますと言うのは、
自分が人になにかした時に否定されたくないからだと思う。

子供の頃、母になにか贈り物をした時に、とてもぞんざいに扱われた気がする。
それが何だったかもう記憶にすら無いが。
そういう経験をする度、
人になにかしてあげたいと思った気持ちに対して
僕はありがとうと言われたいのだと思うんです。

配信をしていた時、1番使ったワードは
断トツでありがとうでした。
これは色物系でない限りほぼ全ての配信者が当てはまることだと思います。
来てくれてありがとうから始まり、何かにつけてお礼を言います。
日本人的かも知れませんが、礼には礼で返す(さつではない)風潮が根強くこの国にはあるんだと思います。

同僚だって申し訳なさから否定的な文言から入ったのだと分かっています。
けれども。
心遣いに対して、暇無くありがとうと言える事はきっと気持ちのいい事なんだと思うんです。
打算的な偽善が好きです。
恣意的な、あるいは無意識の偽悪より。

人の、既に発生した善意には、
迷いなくありがとうと言いたいものなのです。

人に当たり前にある死や美しさを、 詩や文で紡いでいます。 サポートをしていただければ製作の糧になります。 是非よろしくお願いいたしますm(__)m