結婚マウントエトセトラ


最近、 子持ち様という言葉というかネットミームというか、があるらしい。
 所謂、子を持つ親に対しての批判的な見方から生まれた言葉のようで、その優位性であるとか、社会的な存在価値に対する妬みから生まれた言葉という事だ。

職場に主婦のパートさんがいて、
年齢は32歳
同世代の旦那さんがいて、2児の母
両父母とも健在で、親たちとは世帯は分けており、現代的な型にハメたような一般的中流家庭の主婦と言った印象を受ける。

時折結婚マウントをしてくるんです。
「○○さんは結婚してないからそんな事が言えるんですよー」であるとか、
「ご飯を作らなくていい日があるなんて羨ましい、
毎日作らないといけないのに」
「結婚すれば分かりますよ」とかね。

で、僕は思うんですけど、
自分からわざわざ苦行を選ぶ道に進んで結婚をし、子供を作り、専業主婦の道を選んだのに、
自分がやっていることは大変なんだ、という見地が違和感があるのと(大変だから選んだのかも知れないが)、
それをしていない人間が異端である、というような物言いは流石にもう古いんじゃないかなと感じるんです。
単身者世帯は確か4割程なはずで、この先結婚している方がマイノリティという事も日本では充分に有り得かねない社会に来ていて、
子供がいる、家庭がある、だから自分こそがマジョリティで、マジョリティが社会的に正しいというのは結構危険な思想な気がする。
(民主主義的と多様性の融和が難しい過渡期に来ているのと同様に。)

単身者、所謂おひとり様が受けているこういった日常的な軽度差別、区別は、口に出さないだけで山ほど日常にあって、
それこそ、サイレントマジョリティなのかもしれぬ、と。

なぜ現代社会で結婚を目指すのかってもちろん人によって違うんだと思うんです。
(愛し合ってずっと一緒にいたいから、という選択肢は一旦外すとして、ずっと一緒にいる為にはなぜ結婚しなくてはならないか、ということを考えてみる。)
これは圧倒的に建前があるんだろうと思うんです。
結婚してないとそれぞれの親類に角が立つだとか、
近所から後ろ指指されるだとか、
子供を育てづらいだとか社会的な援助を受けづらいだとか、
結婚という様式を取ったことでの社会生活の送りやすさ、メリットが結婚していない事よりもまだあるよね、だったら結婚する事が自然な事という事にしておこう
だって何世代も自分の親もその親もそうして来たんだから、という事だと思うんですね。
だって愛し合って一緒にいて、子供を養えるだけの充分な資金があれば特に結婚という形をとる必要性がないんですもの。
(もうちょっとロマンティック的な話は風呂敷に包んでおきながら)

あと女性の社会進出がまだ難しい時代だから結婚という形を取ってないと生涯「鉄の女」として社会人をやらないといけなくなる、それは不安、というのも現実的にはあるんだと思う。
だから旦那がいて子供がいて主婦であることの正当性を拡張した話し方をするようになるんだろうな、と。

でもこれはわりと自然というかそうじゃないと逆におかしくて、自分がそうあるべきと思ってそこにいるので自分は正しいといった話し方になる筈なんですよね。
無理やり結婚させられたとかじゃない限り。
かと言って、それが人間の生き方の全てみたいな言い方は視野が狭いな、とも思う令和の時代です。
結婚観とは別の話です。
(子供は健全な両親の元でストレスなく育ち学ぶべきだと思っています。)

備忘録。

人に当たり前にある死や美しさを、 詩や文で紡いでいます。 サポートをしていただければ製作の糧になります。 是非よろしくお願いいたしますm(__)m