自分がベテラン小説作家になったつもりで東野圭吾『白夜行』の巻末解説を書いてみる

 集英社編集部から解説原稿の話が来たのは、先週の月曜日の夕方であった。最近、私の作家仲間で最も勢いがある内の一人だと言われている東野圭吾氏が新刊を出すという事で、その解説を書いて貰えないかという内容の話であった。
 昨年の春頃に氏が文春文庫から出版した『探偵ガリレオ』が好評価であり、あれはメディアミックス、いわゆるテレビ実写化等も可能ではないか、と集英社編集部内で噂話があった。私は担当との会議中にその話を聞き、氏の人気が上がっている事を初めて気付かされた。余談ではあるが、同時に「また集英社のコンテンツビジネス好きが出てるなぁ」と思っていた。
 そんな出来事を思い出しながらも、私は二つ返事で話を受けた。ちょうど連載作品の執筆が終わった頃であり、氏の作品が気になっていた所だから、とても良いタイミングと思っての二つ返事だ。もっとも、遅筆である私の仕事の合間を狙って編集部が打診をしたのであろうが。
 氏の新刊が読める配達当日、私は書籍が届く時を今か今かとワクワクしながら玄関先で待った。そして、朝一番の配達で受け取りワクワクしながら包みを開けワクワクしながら新刊を見た次の瞬間、私は「なんでこんなに分厚くするん」と叫んでいた。私がこれから解説を書く氏の作品は800ページを超していたのだった。読むのが楽しみであったがこれはいくらなんでも分厚過ぎる。話題になりたくてわざとやったのかと疑った。最近、若者達の間で人気のあるイギリスの洋書シリーズよりも遥かに分厚い。
 私のエッセイ等を読んで下さっている方は周知だと思うが、私は仕事が遅く、特に締め切りが短い場合は取り掛かる事が億劫になりギリギリになってしまうのである。今回の原稿の場合は半月程で頼むとの話だ。二週間でこの文量か、と早速億劫になりながらも読み始めた。
 

 作品は章で分けられており第一章の読み初めは、あぁ、刑事ミステリー物か、という印象だった。氏の場面の描写は噂通りの物であった。私が大阪の、恐らくイメージの元となる町に、近い位置で暮らしていた経験もあるかもしれないが、するすると場面が想像出来た。特に殺人現場のビルの一室はこの作品を読んだ者同士で絵を描けば、見事に一致する筈だ。この全ての始まりである一室には、そのくらいの緊張感を持った表現がなされていた。
 しかし、第二章第三章と読み進め、第五章まで読んだ時にある事に気付く。この作品は出てくる事件が何一つ解決しないのである。
「章毎で場面が色々と変わるから思ったよりも読みやすいなぁ」と楽な気でいたが、第五章の終わりで何かとんでもない量の伏線を頭の後ろに張られ続けていると気付いた。鈴の音でようやく気付いたのであった。
 この瞬間、私の手の上にあった小説は途轍もなくおぞましい物に姿を変えた。なぜ私はこのおぞましさに今まで気付かず「意外と読みやすいなぁ」などと油断していたのか。ここまでおぞましく、そして大きく邪悪な姿に変貌する小説を私は初めて目にした。大きいのは本のフォルムだけではなかったのである。
 この作品は邪悪な「オデッセイ」だ。氏の新刊はオデッセイの傑作だったのである。あの諦めと静かなる活力が同居した町、あの町から凛とした姿で這い出た女が、周囲の人間に愛と微笑みと惨劇を与え、富と名声を勝ち取るまでのオデッセイだったのだ。そして。英雄には仲間が必要だ。その邪悪な英雄を陰で支える仲間が、光と同じ場所に決して出る事のない一人の闇だったのである。
 そこから中盤まで、私はあまりの凄惨さに目も当てられなかった。横目の薄目で読んでいた。第七章では「またやってるわこいつ」と嫌悪感を抱かせ、第九章では「お前リモココロンかよ」と突っ込ませる程の人心操作技を目の当たりにした。
 しかし、凄惨さにくたびれてきた第十章で希望の光が射す。数々の事件の真相に迫る私立探偵の登場である。そうか、ページ数的にもちょうど半分のここで解決編へ変化していくのだな、今まではミステリーの犯人役の掘り下げの様な物だったのだな、と安堵する。希望に満ち溢れるのである。
 だが、希望の光に見えた探偵は主人公ではなかった。読者の応援空しく早々に退場してしまう。あれだけの察知能力があったのに防御が弱過ぎる。そうだ。希望は薄い望みと書くのであった。
 されど、次の章には真の主人公が出てくる。あぁ、最初に出ていた刑事だと気付く。そういえば最初のイカ焼きの件ってあれ要るのか、とぼんやり思っていた。が、要る。主人公だから。この刑事こそが悪を成敗する希望の光だ。そうだ。希望の希は薄いではなく「こいねがう」という意味であった。
 そして、ここからはこの刑事が途轍もなく頼りになる。なにせ今まで読者はたった一人で邪悪を眺め続けたからだ。感情移入出来そうな私立探偵も居なくなり、天涯孤独の目撃者である読者にとって、この身綺麗とは言えない刑事が頼りになる事この上ない。あと何故か、古賀という人物も再登場した瞬間とても心強いと感じた。この古賀という人物はなんなのだ。初めて読んだのに、なぜこんなにも心強さと安心感を感じるのだろう。彼のスピンオフがもし有れば読みたい。
 第十二章から物語はクライマックスに向かう。この章では過去の登場人物達が集まり始め、第十三章では答え合わせが始まる。このミステリー特有の気持ち良い瞬間が、氏は特に良いテンポと重厚さで書けていると感じた。もちろん邪悪な英雄の蛮行も止むことなくテンポ良く並行して行われる。あまりにテンポ良く見慣れた卑劣行為が行われるので、ゴルフ場で目覚めたシーンは一種のギャグかと錯覚した。まるで邪悪に障害が生まれた時に行われるナイトルーティーンを見ているのではないか。しかし辟易したその後、初めて邪悪から、邪悪たる由縁が口にされる。「それ、お前の学友のエピソードだろ」と疑いたいが、読者はいつもと様子が違うと感じる筈だろう。この瞬間は真意を喋っている気がする。なぜそんな気がするのか。ページ数が残り少ないからだろうか。
 第十三章も終わりに近づき、とうとう英雄の根源が明かされる。ロリコンは後出しジャンケンじゃないですか、と言いたくなるが、そんな伏線はぶっと過ぎて気付かれるので仕方ないだろう。こうして、猜疑心を持つ男ですら誘惑する英雄も、遂に正義の業火の上で磔にされるのか、と期待でワクワクする。綺麗に終わらせてね、とハラハラする。
 そしてーー…英雄は磔を免れた。なるほど、途中から私も、これはハッピーエンドじゃない方が良いかもと思っていたが、充分素晴らしいエンディングだろう。特に最後の4ページは、なんかもう凄い早さで読んでしまった。早く次の行が読みたくて、速読を習っていた訳でもないのに、わけわからんナナメ読みを何度もして何度も戻って読み直した。このスピード感を氏は普段のミステリーでやっているのだろうが、私は800ページ超の大作をじっくりと見させられた後に初めて氏のクライマックス直球を見た物だから、このスピード感についていけず確保のシーンで目線が右往左往してしまった。
 ひとつ難点を挙げるとすれば、なぜ態々切り絵をする為だけに危険な場所へ来たのかという、強引さは感じられる。刑事が嗅ぎまわっている予感は感じていた筈だ。それとも。初めから切り捨てるつもりであの場に呼びつけたのだろうか。刑事から逃げた様子を思えば態と捕まりに行った訳では無いだろう。そこは読者の判断に託すという結末だろうか。にくい演出をする作者である。

 こうして私はこの大作をあっという間に読み終えてしまった。書籍を受け取った朝から玄関先で立ったまま、気付けば夜を迎えていた。氏の才能に感銘しつつ、作品から受けた熱をそのままに原稿を書く。
 しかし、今はもう暗闇の中だ。夜を照らすものが無い私は、やがて来る朝を待ち、それから原稿を書く事にする。

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