DAY223 問題に気づいたら掘り下げて再認識すればいいのだ。

今日は思いがけずプチセッションみたいになった日。無論、受けるほうではない。いや別に受けてもいいのだけど。

お相手は現在パートナーシップに課題を抱えている状態。どんな場合においても課題があるのは自分自身。ということで、ちょっと思い込みをヒアリングして掘り下げてみる、ということをやってみた。
プチセッションと言いつつ、実は結構ガチめのセッションレベル。でもまぁ、今回はやむを得ない。

いろいろ掘り下げると、思い込みのほとんどが大したことない、なんの根拠もない、ほんとにしょーもないことだと気づく。
自分なんてダメなやつ!みたいなことも、よくよく掘り下げてみれば、全然ダメなんかじゃないということを再認識できるのだ。

こうして問題を掘り下げて再認識してみると、実は大したことなかったのだ!と気づける。お金がない!というのも大概は現実的にお金と向き合っていないことでビクビクしてしまっていて、ちゃんと現実を直視してしまいさえすれば、お金はあるのだと安心できたりもする。これは自分にも言えること。

自分と向き合うのが怖いとき、人は他人や環境のせいにして逃げようとする。だってあの人が云々、ともっともらしい言い訳をして自分を正当化しようとする。でも本質を理解して向き合っている側からすると、その茶番はただただ滑稽でしかない。
少し前の自分もそうだったからこそ、余計にそう思うのだけど。

この記事でも書いたけど、立て続けに他人軸な人たちを目の当たりにすると、自分の軸も確認しないとな、と思わざるを得ない。
誰かのせいにして逃げていないか?誰かを悪者にして戦争していないか?

そう思うと、ひとつ思い当たる節がある。
ある人に指摘されることが、いちいち嫌で凹むというのが続いていたのだ。
凹むということは、図星であるという証なのだが、言われ続けて心が曇り、少し距離を置くことにした。

指摘する人を責める訳でなく、言われた自分が悪いということでもない。でもどこかで、自分が悪いとか相手が悪いとか思ってしまいがちだ。

まず傷ついている自分を正直に認めてあげる。わたし、あの人のあの言葉たちで傷ついているのだな、と。

間違っても〈傷つけられている〉と認識しないこと。それは被害者意識だから。似て非なる解釈だ。

ここから先は、徹底的に自分との向き合いだ。書こうかと思ったけれど、赤裸々に書くにはハードモード過ぎるからやめた。

でも向き合いきってしまえば、相手のことを嫌いになることもないし、自分にガッカリすることもなくなる。逃げるより、遥かに良い結末に繋がるのだから、向き合う以外の選択肢はもう、今更浮かびようがない。

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