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人生とは

「人生とは」という話題がよく会話に出てくる年頃になった。齢二十四。まだまだ若いと言われるけれど、心の年齢と体の年齢が乖離してくるようになった。やりたいことはたくさんあるのに、体がついていかない笑
1週間の休みをもらったので、普段は絶対会えない東京のカレンダー通りに働いている友人に会ってきた。1日1人…間にはディズニーシーを 挟み、豪遊し、宿はほとんどカプセルホテルでケチった。案の定、最後から2日目で体調を崩した。最後に飲もう!そしてお泊まり!と言っていた1番会えていない友人には会えなくなった。うわーん。自業自得である。
もっとゆっくりの予定にすれば…もっと広いベッドでしっかり休めば…もっと自分の体の異変に気づいて対処していれば…何かが起こってから、度が過ぎてから、あれやったこれやったと言ってしまう。その寸前、崖から落ちる寸前に気付けないものか笑 自分が嫌になる。
でも、それが生きている実感でもある。
自分の限界まで楽しんだ(もちろん、後悔はたくさんしているけど笑)、生きてる!楽しんでる!って証でもある。人生とは証をたくさん残す旅だと思う。
何かにつけて、証を残したがるのが人だなぁと。彼との絆の証、ここに来た証、この資料を見た証、毎日は証を残すことだらけ。
なぜ、こんなにも証を残したがるのか。
それは私たちの儚い運命が関係しているのだと思う。私たちは遅かれ早かれ必ず死ぬ。
事故事件自殺他殺自然死いかなる場合でも、誰にとっても、この世に生まれた時からの定めである、死。誰も逃れられないし、誰も止められない。今のどんな最新技術を持ってしても、避けることができない。
そんなある意味悲しい運命を背負いながらも私たちは毎日を生きなければならない。全ては灰になり、手元に何も残らないという未来を知りながら、日々を送らなければならない。そんな虚しいことがあるだろうか。今繋いでいる手も、今食べている美味しいものも、今見ている美しい景色も全て持っていけないのだ。
だから、ここにいたという証をなんとか残して、自分という存在を誰かに認めてもらおうとするのだ、きっと。自分の人生がここにあったと植えつけて、誰かの記憶の中で、あるいは何らかの物に託して、私を遺すのだ。
人生とはそういうもの。やりたいことをやって、そこにいた記憶と記録を残して、死んでいくもの。だから、嫌いなことをしている暇なんてない、生き急いでもいいくらい。さぁ、心が躍ることをしよう。人生は短いし、楽しいことは自分が歩いて見つける方がめっちゃいい👍
できるぞ、私。自分の人生、生ききるぞ。

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