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【速報】孔子廟訴訟「違憲」判決の解説

歴史上3件目の政教分離違反

令和3年2月24日、最高裁大法廷は、沖縄にある久米孔子廟を所有する一般社団法人に対して、施設の敷地使用料を全額免除したことは、憲法20条3項に違反すると判断しました(判決文はこちら)。

平成9年の愛媛玉串料訴訟判決、平成22年の空知太神社訴訟判決に次ぐ、3件目の政教分離に関する違憲判断でした。

国家の「非宗教性」への言及が復活

憲法が定める政教分離原則(20条1項後段、3項、89条)の趣旨については、国家と宗教との厳格な分離を求める「国家の非宗教性」と解する立場と、国家と宗教との関わり合いを前提に中立を求める「国家の宗教的中立性」と解する立場がありました。

かつて、最高裁は、津地鎮祭訴訟判決において、政教分離規定は「国家の非宗教性」を理想としつつも、完全分離を貫けば「不合理な事態」が生ずるとして、「宗教的中立性」を要求するものへとすり替えてしまいました。この点は、同判決の5裁判官の共同反対意見が鋭く批判をしています。

その後、自衛官合祀訴訟判決や箕面忠魂碑・慰霊祭訴訟判決、「エホバの証人」県道実技受講拒否訴訟判決は、いずれも「国家の非宗教性」に言及せず、「宗教的中立性」のみを問題としていました。

ところが、愛媛玉串料訴訟判決は、再び「国家と理想との完全な分離」という理想論を語り、「宗教的中立性」にすり替えを行いました。
尾崎裁判官意見と高橋裁判官意見は、これを鋭く批判していましたが、多数意見が「違憲」という結論を導くために、あえて完全分離という理想を書き込んだと理解できます。

ただ、空知太神社訴訟判決は、違憲判決であるにもかかわらず、「国家の非宗教性」という文言を再び削除し、「宗教的中立性」にしか言及していませんでした。
そのため、最高裁は「宗教的中立性」の立場に固めたかに見えました(拙稿「信教の自由・政教分離(1)」受験新報2016年7月号15頁以下、21頁参照)。

本判決は、再び「国家の非宗教性」に触れたことが注目されます。

「一般に政教分離原則とは、国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)の非宗教性ないし宗教的中立性を意味する」

これに続く説示でも、最終的には「相当とされる限度を超える」かかわり合いを違憲とするものではあるものの、政教分離規定を「国家の非宗教性」の規定であると理解していることが読み取れます。

「我が国においては,各種の宗教が多元的,重層的に発達,併存してきているのであって,このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには,単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず,国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため,政教分離規定を設ける必要性が大であった。しかしながら,国家と宗教との関わり合いには種々の形態があり,およそ国家が宗教との一切の関係を持つことが許されないというものではなく,政教分離規定は,その関わり合いが我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に,これを許さないとするものであると解される。」

これは「宗教的中立性」にしか言及しなかった空知太神社訴訟判決から大転換したものといえます。

目的効果基準は適用せず

愛媛玉串料訴訟判決までの最高裁は、

「宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが右の諸条件に照らして相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないものとする」

との上位の判断枠組みを定立したうえで、下位の判断枠組みとしては、憲法20条3項の「宗教的活動」を

「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」

と定義する目的効果基準を適用していました。
また、憲法89条が禁止する公金支出行為などについても、憲法20条3項と同様の基準によって判断するとしていました。

その後、空知太神社訴訟判決では、上位の判断枠組みとして、

「宗教とのかかわり合いが我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に,これを許さないとするもの」

として「目的及び効果にかんがみ」という文言を削除しました。

そのうえで、下位の判断枠組みとしては、89条が禁止する公金支出行為等については

「当該宗教的施設の性格,当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯,当該無償提供の態様,これらに対する一般人の評価等,諸般の事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すべき」

とする総合衡量を採用しました。

一方で、空知太神社訴訟判決の2日後になされた白山ひめ神社訴訟判決では、上位の判断枠組みからは「目的及び効果にかんがみ」との文言を削除しつつも、20条3項の下位の判断枠組みとしては目的効果基準を採用していました。
そのため、憲法20条3項では目的効果基準、憲法89条では総合衡量という使い分けをしていると解する余地がありました(ただし、冨平神社訴訟判決では、20条3項と89条をまとめて判断していますが、目的効果基準は適用しませんでした)。

本判決は、上位の判断枠組みについては、

「政教分離規定は,その関わり合いが我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に,これを許さないとするものである」

というように、空知太神社訴訟判決を承継しました。

そのうえで、下位の判断枠組みも、20条3項の問題であるにもかかわらず

「当該施設の性格,当該免除をすることとした経緯,当該免除に伴う当該国公有地の無償提供の態様,これらに対する一般人の評価等,諸般の事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すべきもの」

という総合衡量を適用しました。

したがって、20条3項は目的効果基準、89条は総合衡量という使い分けをしているわけではないということが明らかとなりました。

さよなら目的効果基準?

空知太神社訴訟判決の藤田裁判官補足意見では、

「目的効果基準が機能するのは、問題となる行為に『宗教性』と『世俗性』とが同居しておりその優劣が微妙であるとき、そのどちらを重視するのかの決定に際してであって(中略)明確に宗教性のみを持った行為につき、更に、それが如何なる目的をもって行われたかが問われる場面においてではなかった」

という使い分けを提唱しています。

ところが、本判決が、

「国又は地方公共団体が,国公有地上にある施設の敷地の使用料の免除をする場合においては,当該施設の性格や当該免除をすることとした経緯等には様々なものがあり得ることが容易に想定されるところであり,例えば,一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても,同時に歴史的,文化財的な建造物として保護の対象となるものであったり,観光資源,国際親善,地域の親睦の場などといった他の意義を有していたりすることも少なくなく,それらの文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して当該免除がされる場合もあり得る」

と説示するように、「宗教性」と「世俗性」が同居していた事案です。
実際に、孔子廟の敷地を使用していたのは、宗教団体ではなく、一般社団法人にすぎません。

空知太神社訴訟判決の事案のように、

「国又は地方公共団体が国公有地を無償で宗教的施設の敷地としての用に供する行為は,一般的には,当該宗教的施設を設置する宗教団体等に対する便宜の供与として,憲法89条との抵触が問題となる行為であるといわなければならない」

とされるような「宗教性」のみを持った行為ではないのです。

それにもかかわらず、目的効果基準を適用しなかったことからすれば、少なくとも、藤田補足意見は否定されたことになります。

なお、目的効果基準は、1回限りの作為的行為には適用されるが、不作為的側面も有する継続的行為には適用されないとする立場もありますが、一回会議の作為的行為に目的効果基準を適用しなかった冨平神社訴訟判決を説明できません。

そうすると、目的効果基準は葬り去られたのかもしれません。

当てはめ

本判決が違憲とした大きな理由は、一般社団法人という形式ではあるものの、①施設が宗教施設に近いこと、②孔子の霊の存在を前提としていること、③儀式の観光ショー化を許容していないことなどの「実態」から宗教的意義を認定したことにあります。

また、世俗性があるかという点についても、本件施設が廟を復元したものではなく、法令上も文化財として取り扱われていないことから、観光資源としての意義や歴史的価値を否定しました。

これに加えて、年間576万円もの大きな利益を継続的に享受することも問題視されました。

これに対し、林景一裁判官の反対意見が付されています。
この意見は、信仰に基づく宗教行為というよりも、代々引き継がれた伝統ないし習俗の承継であるとして、世俗性を強調しています。
また、宗教の教義、指導者、組織性、普及活動などの宗教の本質的要素が認定できていないことも強調しています。

今後は政教分離規定が厳しく適用される?

このような反対意見があるにもかかわらず、違憲判決としたことは、「相当とされる限度」の立証のハードルがそれほど高くないことを物語っています。
換言すれば、今後、政教分離規定が「宗教的中立性」よりも、「国家の非宗教性」を強調し、やや厳格に適用される余地があるといえるかもしれません。




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