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弁護士が考える「官邸公式サイトの図の問題点」

Twitterにおいて、ハッシュタグ #検察庁法改正法案に抗議します が話題になっている中で、なぜか官邸公式サイトの図の矢印をめぐって、物議をかもしています。

内閣から主権者である国民に矢印が伸びていることから、「まるで行政が主権者である国民よりも上にあるのでは?」という問題意識のようです。

また、検察庁法改正案をめぐる批判の中で、「三権分立が脅かされる」というように、「三権分立」と「権力分立」が厳密に区別されていないように感じました。

そこで、今回は、日本国憲法の定める統治機構をおさらいしておきましょう。

「国家権力」とは?

以前にも書きましたが、私たちは、自らの生命を維持するために暴力(自然権)を手放し、暴力を独占する国家を作りました(社会契約)。

そのため、私たちは、原則として別の人に対して、一方的に何かを強制することはできません。
一方的に何かを強制をする力(強制力)は、まさに国家が独占しているのです。
つまり、「国家権力」とは、私たち国民に対して一方的に何かを強制する権限(国民支配作用)のことをいいます。

権力分立とは?

もっとも、国家権力をひとつの国家機関に集中すると、権力が濫用されやすくなります。
そこで、国民に対して一方的に何かを強制する権限(国民支配作用)を別々の国家機関に授けようという主張が登場します。

・ルールを作る人(立法権)
・ルールを実際に適用する人(執行権)
を区別するべきと主張したジョン・ロック『統治二論』という著作の名前は聞いたことがあるでしょう(後篇・第12章144参照)。

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このように、国家家権力を異なる国家機関に持たせ、お互いに監視させようという考え方を「権力分立」といいます。
「権力分立」といった場合、国民に対して一方的に何かを強制する権限(国民支配作用)を別の国家機関に持たせることだけでなく、広く、各国家機関に相互にけん制するための権限を与えることを意味します。

三権分立とは?

他方、「三権分立」とは、国民に対して一方的に何かを強制する権限(国民支配作用)を
・ルールを作る人(立法権)
ルールを一方的に執行する人(行政権)
当事者間の争いをルールに基づいて解決する人(司法権)
に区別する考え方です。

代表的な著作は、モンテスキュー『法の精神』でしょう。

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「三権分立」は、「権力分立」と同じ意味合いで使われることもありますが、「権力分立」よりも狭く、単に、国民に対して一方的に何かを強制する権限(国民支配作用)を3つの機関に分けることを指します。

このように考えると、「首相官邸きっず」の図は、主権者である国民が持っていた自然権を手放し、日本国憲法により、国会に立法権(41条)、内閣に行政権(65条)、裁判所に司法権(76条1項)を授けたという、まさに三権分立を表したものといえます。

首相官邸きっず_三権分立の図sanken_exp

国家権力はどのように行使されるか?

それでは、私たちが国家に授けた権力は、どのように行使されるべきなのでしょうか。
そのための仕組みが、私たち国民が多数決でルールを決める「民主主義」です。
日本国憲法における民主主義のキーワードは、国民主権代表民主制議院内閣制の3つです。

国民主権
まず、日本国憲法では、主権は私たち国民にあります(前文、1条)。

代表民主制
そして、私たちには普通選挙権が保障され(15条1項、3項)、全国民を代表する国家議員により国会が構成されています(43条)。
ルールとなる法律を定められるのは、「唯一の立法機関」である国会だけです(41条)。

議院内閣制
次に、国会が、内閣のリーダーである内閣総理大臣を指名し(67条1項)、内閣総理大臣が国務大臣を任命します(68条本文)。
内閣は、国会が作ったルールである法律を誠実に執行(73条1号)、つまり、私たち国民に対して、法律を適用します。

たとえば、税金を支払わなければ財産を一方的に差し押さえられますし、人を殺したと疑われれば一方的に逮捕されます(現行犯の場合を除き、裁判所による令状審査はありますが)。
これらを私たち国民が勝手に行えば、窃盗罪や監禁罪に問われる違法行為ですが、国家権力だけはルールである法律に基づいて一方的に行うことができるのです。

官邸公式サイトの図の意味

そういった意味では、「官邸ウェブサイトの現行憲法下の内閣制度」の図は、国民⇒(多数決)⇒国会議員⇒(多数決)⇒内閣総理大臣⇒(法律を適用)⇒国民という、国家権力が国民に由来することを描いたものと理解することができます。

厳密には、国民が多数決で選んだ国会議員が多数決でルールを作り、国会議員が多数決で選んだ内閣総理大臣をトップとする内閣がルールを国民に適用するという循環構造となります。
ページのタイトルは「現行憲法下の内閣制度」ですから、このような循環構造の中における内閣の位置づけを明らかにしたものといえます。

民主主義には、治める者と治められる者が同じであるという「治者と被治者の自同性」と呼ばれる特質があります。
この図は、矢印を循環させることで、「治者と被治者の自同性」という日本国憲法の基本的な構造を表現したものとも理解することができます。

官邸ウェブサイトより_三権分立の図

「世論」の位置づけ

官邸公式サイトの図を問題視している方は、文部科学省の検定を通過した教科書や衆議院ウェブサイトや図のように、主権者である国民が「世論」により内閣を監視するように描くべきであると考えているようです。

衆議院ウェブサイトより_三権分立の図

もちろん、主権者は私たち国民ですから、世論を通じて、内閣に対して意思表示をするとは、とても大切なことです。
マスメディアが内閣支持率を定期的に調査し、報道しているのも、このような主権者による国家権力の監視として、民主主義における重要な機能です。
したがって、私たち国民がどのように国家権力を監視するという民主主義の観点からは、この図はまさに正しいものといえます。

官邸公式サイトの図の問題点

もっとも、木村草太教授(憲法学)が指摘するとおり、官邸公式サイトの図は「行政」だけ矢印の方向も性質も違います。
もし、「行政」だけを書き込むのであれば、「立法」や「司法」も書いておくべきではないかという主張はあり得るところでしょう。
(ただし、立法権は、国民の具体的な権利義務を直接変動させるものではありませんし、司法権も、当事者の申立てなしに一方的に行使できるものではありませんので、一方的な強制力でないため、これらの矢印を伸ばすのが適切かという問題は残ります)

つまり、書いてある矢印の一貫性がわかりにくいことが、官邸公式サイトの問題点だといえます。

しかし、教科書や衆議院ウェブサイトの図も、矢印の向きはそろっているものの、矢印の性質は「世論」だけ異なります。
これらの図に描かれている「世論」以外の矢印は、すべて憲法上の権限ですが、「世論」だけは憲法上の権限ではありません。
残念ながら、日本国憲法は、私たち国民に対して、内閣総理大臣を選んだり、クビにしたりする直接の権限は存在しないのです。

また、「世論」を意識しているのは、内閣だけではなく、国会も含まれるでしょう。
憲法と法律にのみ拘束される裁判官(76条3項)も、憲法判断をするにあたっては「国民の意識」を理由にすることがありますから、「世論」と無関係ではありません(厳密には「国民の意識」と「世論」は異なるかもしれませんが)。
それにもかかわらず、内閣だけに「世論」の矢印が伸びていることには、違和感があるという見方もできます。

三権分立を表すこれらの図に「正解」はありません。
図の目的に応じて、矢印の向きや種類を適切に使い分けることは許されるでしょうが、一貫性をもって書くというのは、なかなか悩ましいところですね。




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