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ここではない場所へ行きたい時

いきなり何かふっと誰かが言い出して、瞬間的な流行りものという感じで広がっていく事象を目にすると、つい俯瞰して見たり、あれこれ考察する癖がある。これは子供の頃からそうだ。根がヒネているんだろう笑

今回は、そこから想起した、今年に入ってから感じたものをこの記事で書いてみようと思う。何かを啓蒙しようとか、そういうつもりではなくて。上から目線で何を偉そうにと見えるかもしれない。しかし、上記のように、もともと自分はそういう性質である事と、あれこれ考えたものを仕事や成果物になっていく側面もあり、せっかくなので所感を記録がてらに書くものなので、どうか長い目で見てやって、ここで描かれている事はチラシの裏だと思って欲しい。

さて、最近のインターネットやSNSは息苦しくなってしまった傾向があり、目にするとメンタルを削られる嫌な情報で溢れる面が出てきた。

それだけインターネットが普及され、あらゆる人達が端末を通じて心情の吐露ができるようになったわけであり、もともとデジタルの世界というのはカオスなのである。そういう意味では世相がとても色濃く反映されていて、下手にキレイ事で彩られるより余程健全ではないかと思う。

大事なのは、そのカオスな海であっても真贋を見極める眼力と、そこにある情報だけを鵜呑みにせずに自分なりの考えを持ち、それを裏付けて出力できるリテラシー(読み書き能)を身につける事。これは、情報処理の基本なわけである。

ここではない場所へ行きたい。
ネットの世界に限らず、特定のコミュニティーに身を置いているとふと、そんな事を思う瞬間があると思う。

そもそも、ネットの世界というのも、現実世界に居場所が見いだせなかったり、現実世界の自分とは違う人格を演じる事や、普段出会う事のない筈の人とのコミュニティーがある事で、パソコンを通じた、限られた人の秘密の世界。限られた。というのも、パソコンを持っている事、有線の電話回線を使い、時間制限があったり、テレホーダイを利用する深夜帯、様々な条件が重なっていたので、ワールドワイドウェブとはいえ、それでも閉じられた世界だったものが、端末が携帯電話に成り代わり、スマートフォンの普及と、高速回線の配備により、もはや携帯端末とインターネットは生活必需品にまでなった。

それらの環境下で生まれ育った世代はデジタルネイティブ世代と呼ばれ、ネットが当たり前の世界がある。

コロナ禍において、インターネットの存在意義というものが不可抗力的に前に進んでしまったように思う。強者総取り、先行者利益などの言葉が飛び交い、更に追い打ちをかけるように新しい概念やサービスが生まれては消える渦中に居るのである。

徒党を組むのか
搾取をするのか
他所に踏み入り奪うのか
寂しさを埋め合わせる為だけに寄り添うのか

ここではない場所へ行きたい時。そんな思いが去来する時

果たして、そんな中で何処へ行こうというのか。

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