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咳をしても一人、でいいと思った

どうやら何かが物足りないらしい。

それは恋愛とかお金とか美容とか、そういうことじゃないらしい。何かが足りなくて、それを考えたり答えを出すことから逃げたいから私はたぶん、激薬的なコンテンツとか男とかエロとかそういうものが好きなんだと思う。逃避がしたい。

彼氏でも、突然現れた隣人のせいでも、新しい仕事のせいでもない。この空虚感は、自分が生み出したものなんだと思う。いまの環境や生き方にとりわけ後悔があるという話ではない。むしろ、ある程度満ち足りている実感があるからこそ、なんでだか無性に虚しい気持ちに駆られている。

少し前の日記にも書いたけれど、私の両親が仮に仲良しでも、私が1人暮らしじゃなくて実家暮らしでも、他の誰かと付き合っていても、もしくは独り身でも、どんな仕事をしていても、どんな場所に住んでいても。なにをしている時も、なにを考えているときも。結局私は1人なんだと思う。

これは孤独だという話ではない。そうではなくて、やっぱり私は今まで以上にさらに、自分で自分の人生のカジを切っていかないといけない。だって、そうしないと、このまま自動運転で進んでしまう気がするから。そこまでの不自由が、なくなってしまった。逆にいうと、もうそこまでなにかをやりたいとか欲しいとか惹かれるとかっていうこともない。あたしが一番嫌いだった「ああ、こんなもんか」という感情に、飲まれそうになっている。でも、今まで後先考えず好きにやってきた私が、それでしか自分を保つ術を知らなかった私が「ああ、こんなもんか」になってしまったら、なんというかすべてが終わってしまう気がする。

結婚。出産。しないかもしれない。私は結局、嘆きながら、あーでもないこーでもない、と思いながら、何かしらの反骨精神を武器にして、がむしゃらに何かを頑張ることが好きだ。自分のために、全然計画性がないことにただ、向かっていくことが好きだ。そういう瞬間にこそ、生きがいを感じる。わくわくする。生きている実感がもてる。つまるところ、自分のことしか考えていない。恋人より家族より友達より、私は自分が大事だ。自分が一番かわいい。気持ち悪いくらいにそう思う。まったく優しい人間なんかじゃない。良い子でもない。良い子になんか、全然なりたくない。

世の中には、本当の良い子みたいな顔した人が、たくさんいる。そういう人と一緒にいると、自分まで浄化されるような気持ちになる。真人間にしてもらえるような感覚にも陥る。でも、ある程度の時間を過ごすと気がつく。ああ、この人とは住む世界が違う。常識が違う。わかりあえない。窮屈。ありのままを出せない。自分がどんどん悪い人間に思えてくる。逃げたくなる。

この数日間であったことは、自分のすごく醜い部分と、私らしさと私なりの弱さを痛感した出来事だった。いろいろと、諦めたほうが気持ちが楽になるのかもしれない。世の中的幸せではなく、自分なりの幸せをもう一度再定義しないと、息が詰まりそうだなと思う。這ってでも行く、とか、言わないでくれよと思った。そういうところがしんどい。

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