誕生日には自分でケーキを準備する。#ニュージーランドの湖畔暮らし
息子が3歳になった。ニュージーランドでは、誕生日ケーキを自分で準備する文化がある。西洋ではそのような事が多いのか、職場や学校に自分でケーキを持ち込み、お祝いしてもらう場面を、映画で目したことがある方も多いのではないかと思う。
幼稚園の先生に、お誕生日会をするので「ケーキを持ってきてね」と言われ、前日からケーキの準備をした。材料はたった3つ。バナナ、スペルト小麦、豆乳で作る、極シンプルなバナナケーキだ。
自らバナナを潰し、小麦粉や豆乳を混ぜて。
バナナを並べる姿は真剣そのもの。
オーブンで焼いている間も、ガラス越しにケーキを覗き、まだかまだかと楽しみにしてる様子。焼き上がり、「食べたい!」と欲しがるも、「明日みんなで食べるケーキだからね」とここは、ぐっと我慢。(えらいぞ!)
当日はケーキを大切に抱えながら登園した。
誕生日会の時間になると、園児たちが園庭に召集され、わらわらと青空の下に集まってくる。ナイフを渡された息子がカット担当。誕生日を迎えた本人がケーキカットをするのだそうだ。
友達が「ケーキ、美味しいよ、ありがとう」「ありがとう!」と口々に言う。おめでとう、よりも、ありがとう、という言葉をかけられる。その光景は、おめでとうで溢れる誕生日を日本で経験してきた私には、新鮮に映った。
ふと見ると、息子は誇らしげな顔をしていた。喜びや嬉しさを隠しきれず、溢れる笑みを手で押さえ、照れていた。その顔を見て、自分でケーキを準備することの意味が、おぼろげにわかってきた。
これまで私は、誕生日は、家族や友人にお祝いしてもらうものと思っていたのだと思う。とくに10代の頃は、自分の誕生日が近くなると「今年はお祝いしてもらえるかな…」と、気にしていた。とはいえ、自分で自分のケーキを用意するのは、私を祝って!と主張や押しが強いように感じ、気が引ける。
けれど、実際に「自分で祝うスタイル」を経験してみると、別の側面があるのだと気がついた。
それは、「自分で場を設定して、皆にケーキを食べてもらい分かち合う。」というシンプルな形。
言い換えれば、誰かに期待して自分のお誕生日を祝ってもらうのではなく、率先して、自発的に祝う場を作る。それは、誕生日だけではなく、日常にも応用できそうな心構えだと感じる。
また、自主性を重んじ、主張を厭わないニュージーランドの国民性に結びついているとも思う。
日頃の気持ちを込めて、誕生日会を催す。
「誕生日は感謝を伝える日」という考えが根底にあり、それを地で行っているのだ。
そんな異文化に触れつつ、迎えた誕生日。
最近の息子はしゃかりきモードだ。「3歳になったから、一人で寝るね」「もう3歳だから、きれいにご飯食べるよ」と言い、大きくなることがても嬉しそうで誇りに思っている様子。「3」という指の練習もこっそり何度もしていた。心なしか歩き方も、胸を張っているような気がする。
いま好きなものは、カーキャリアとギターと自転車とサッカー。好きな言葉は、オパパフリア(マオリ語でmother earthの意)。家の誕生日では、ギターでハッピーバスデーを歌い、さらにケーキを自分で準備していた息子。(今年は二つもケーキを自分で作っていた・笑)
3歳の一年はどんな歳になるかな。
充実した年になるよう願いを込めて。