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鋏(はさみ)

ハサミが怖い。鋭く尖った先端部分、あれが怖い。まるで自分の眼球に向かって尖っているようで、怖い。私は出生時に右目に器具が刺さってしまったらしく、右目が見えない。この残された左目にも刺さりそうで怖い、と潜在的に感じているらしかった。しかしながら社会人として生活していると、ハサミを使わなければならない場面が多くある。職場で「私は先端恐怖症なのです。ハサミを使用することは恐怖なので、どうか勘弁してほしい」と伝えたことがあるが、「は?何を言ってるの?小学生じゃないんだから」とその業務をサボりたいだけだと勘違いされてしまった。以来、ハサミを使用する時はなるべく先端を見ないようにして、手元だけを注視している。すると、どうだろう。切り終わった紙はいびつな形だ。そしてまた「もっと綺麗に切ってください」とやり直しになる。みじめに肩が震える。そうして先端恐怖症の他にもハサミに対しての苦手意識が高まるのだ。

小学生の時に工作の授業でカッターナイフを使った。それは子ども向けの切れ味の悪い小さくて細いカッターだった。その授業では、先生はテストの採点をしていて、児童は自由に厚紙を切っている。私もその中の一人だった。自由に作業している児童たちは、当然、指を切ったりすることが多かった。私も例にもれずカッターで指を怪我した。前の児童に倣って先生の元へ絆創膏をもらいに行く。すると、先生は形相を変えて「早く保健室に行きなさい!」と私の腕を引いた。私の指から流れた血に児童の視線が集まる。教室は3階にあった。痛みはほとんどない。じわじわと溢れてくる血。5分ほどで保健室に付いて養護教諭が指を見て慌てて電話をする。何が何やらわからないまま、私はタクシーに乗せられ、徒歩5分の市民病院へ運ばれた。そうして何が何やらわからないまま手術をして、7針縫った。そういう経験を中学生までに5回繰り返した。

ハサミを人に貸すときに、先端を握って相手に渡すという常識がある。その間中、私の心臓はなりっぱなしだ。それで怪我をしたことも何度かある。自分がみじめで、見るに忍びない気持ちになる。どうして私は他人のようにふるまうことができないのだろう。こうしてまた先端に対する恐怖が増えていく。

この先端恐怖症も重度のものになると、人の顔、顎が尖っている人を見ることが困難になるらしい。自分よりも症状の重い人を見ると、安心する。人の顎が見られないなんて。彼らはきっとコロナ渦でのマスク生活に感謝しているに違いない。じゃあ、彼らはマスクを外された瞬間に泡を吹いて気絶したりするんだろうか、と想像してしまう。アインシュタインのいなちゃんの横顔はどのように映っているんだろう。正面から見たら平気なんだろうか。そうして人のことをけらけら笑っていると、罰が当たって箸の先端部分が視界に映り込んで私は椅子からずっこけた。


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