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「美」のない野球映画とは:日本未公開野球映画を観る(47)

Giants Being Lonely(2019)

※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。

青春期の焦燥や葛藤

 南部にある小さな町の高校の野球チームの2人の投手を主人公に、青春期の焦燥や葛藤を描くドラマ。
 わりと強豪らしい「ジャイアンツ」のエースのボビーは町の有名人で、学校でも「マドンナ」的存在のキャロラインとつき合っているが、父子家庭の父は病床にあり、試合を観に来ることもできない。
 対して控え投手のアダムは何かにつけ冴えない。彼の父親はチームを威圧的に支配するコーチで、アダムはチームでも家でもこの父親に怒鳴られ抑圧されている。そしてボビーはアダムの母(=コーチの妻)とも関係を持っている。
 卒業を前に、ボビーとキャロラインがつき合っていることを知らないアダムは彼女をプロムに誘い、「キープ」的にOKをもらうが、父は学期が終わったらすぐ家族でヨーロッパ旅行に行くので、プロムには出るなと命じる。
 最後の試合でボビーは完全試合を達成し、キャロラインとプロムに出かける。両親が留守のアダムの家で二次会のパーティーが開かれて乱痴気騒ぎになるが、途中一人の少女が悲鳴を上げ、警察が呼ばれてアダムが連行される。ラストシーンはアダムが殺害して冷蔵庫に入れた両親の頭部。書きたくもないグロテスクなシーンだが、本作の印象に大きく影響するので紹介しないわけにもいかない。

「わかりにくさ」の理由

 こんな終わり方とはいえ、ラスト以前は悪い印象ばかりではない。全体に、セリフをはじめ描写が最小限だったり夜の暗いシーンが多く、人物やその関係がわかりにくい(今のこの情事は誰と誰?など)のだが、10代後半の若者にありがちな孤独や焦燥、鬱屈、大人による抑圧と反抗を個性的な手法で描いており、序盤はわりと好感を持てた。しかし中盤から「昼ドラ」(アメリカで言う「ソープオペラ」)的なドロドロの展開になって疑問が生じ、ラストで「とどめ」を刺される。なお、アダムが両親を殺すに至った背景として提示されるのは父による日常的な抑圧と旅行の件で、母とボビーの関係をアダムが知っていたかどうかは不明である。
 とにもかくにも、孤独をはじめとする普遍的なテーマをこういう展開、結末に持っていくという選択を監督はしたわけだが、その理由や意味をこの説明不足な演出から理解するのは難しい(いちおう「個人的な経験に基づく」と語っているそうである)。
 本作の「わかりにくさ」は、まず主人公ボビーとアダムの区別がつきにくいことから始まる。外国映画を観ているとよくあることだが、この二人はアメリカ人にとっても見分けにくいらしく、いくつものレビューで指摘されている。その理由は明白で、二人を演じる俳優が兄弟だからだ。顔の区別はつくが雰囲気は似ており、先述の通り映像や描写が親切でないこともあって、その都度「これはどっちだ?」と考えなければならず、作品に入り込みにくい。

「美」の欠如

 もうひとつ、これは一概に短所とも言えないだろうが、本作にはおよそ「美しいもの」が出てこない。まずストーリーや人物は前述のように美しくないが、10代後半の若者をそのように描くこと自体は当然「あり」だろう。しかしそれのみならず、俳優の顔やたたずまいも、舞台となる高校、野球場、登場人物の家、ユニフォーム、選手らのプレー等々、いずれも美しさを全く感じさせず、そういう映画はそもそも珍しい。
 これは商業映画的な「虚飾」を意図的に排しているのか、低予算のインディーズ作品ゆえ図らずもそうなってしまったのかはわからないし、南部(ノースカロライナ州らしい)のあまり豊かでない小さな町のリアルなのかもしれないが、映画にこれほど「美」の要素がないと、観ていてちょっときつい。特に野球映画として観るとき、野球のシーンには何らかの美しさが欲しいと思うが、粗末なフィールド、貧相でセンスのないユニフォーム(オーストラリア代表か?)とだらしない着方、怒鳴ってばかりのコーチ、うまくも楽しそうでもない選手たちというのは、アメリカの(高校)野球のひとつの現実なのかもしれず、だとしたらそういうものを初めて見た。
 そして、視覚的なものであれそれ以外の形(描写やメッセージなど)であれ、筆者は映画に何らかの美を求めているようだ。美を描くことが目的である必要は全くないが、どんなにやりきれないストーリーでも、これでもかとばかりに人間の醜さを描いたとしても、そこに一片の美は欲しいと思っていることに気づかされた。
 アメリカで高校野球が地味なスポーツであることは再三述べており、そんな高校野球が舞台の作品としてこれまでThe Final SeasonWar Eagle, ArkansasGibsonburgを紹介したが、それぞれ多少なりとも美は含まれていたことをあらためて思い出す。

 なお表題のGiants Being Lonelyは、20世紀前半のアメリカで活躍した詩人カール・サンドバーグの詩の一節だそうだ。「巨人は孤独なり」といった感じだろうが、本作ではもちろんチーム名とかけてある。

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