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夜の学校に泊まる

 わたし、どうやらホームレスらしいです! 友だちに言われて、びっくりして、笑っちゃった。でもその通りだなあと思う。(住民票は未だに前の家にあります。転送届で郵便物は倉庫に届くけど、どこに移動したらいいかは考えている途中。そういう人ってどうしたらいいんだろう?)だけど毎晩特に困ってはいません。外で寝たこともありません。いろんなおうちにお邪魔しているので、自宅はないけど家がたくさんある気分です。落ち着いたら今度はまた車生活をしようと思っています。キャンプもしたいし、真夜中にファミレスでトランプもしたい。家がない身軽で自由なこの機会に、やりたいこと、いっぱいです。

 そういえば、高校生の頃に一度だけ外で寝たことがあります。テントも張らず、ただ外で。
 たしか、夜遅くまで学校裏の田んぼで作業をしていた日のことでした。次の日も朝早くから田んぼで作業だから家に帰るのが面倒で、昔使われていた大きな古民家の横にあった豚小屋みたいなところで寝袋で寝ました。古民家の裏山に登って、綺麗な星をひとりでずっと見て、真夜中、うさぎだか鹿だかの足音で目が覚めてすごく怖くて、結局ほとんど寝ずに過ごしたっけ。朝は朝日が綺麗だった。

 景色は気持ちよかったのだけれど、蚊とか獣が嫌だったので外で寝たのはそれきり。テントも持っていなかったので外で眠るのは諦めた高校生のわたしは、学校の中で眠るようになりました。(ただただ、学校の往復三時間が惜しかったんです。学校でやりたいことが多すぎて、始発で行って最初のスクールバスすら待たずに駅から40分かけて自転車で学校に行っていたくらいです)
 鍵のかかった窓の開け方も扉の開け方も、一部の生徒たちはこっそり共有していました。わたしだけでなく、色んな人がそこにいたんです。深夜、だれもいないはずの体育館なのにギターと一緒に大声で歌っている声が聞こえたり、深夜になぜか先輩が部屋に来て差し入れをくれたり。幽霊の心配をしたことはありません。夜の学校にはいつも生身の人間がいました。
 ステージの端っこに寝袋を持ち込んで眠る人、和太鼓の保存用の毛布に包まって眠る友人、ダンボールをしいて適当に寝る人、寝ないで朝までねぶたを作っているひと。学校に泊まらないとしても、駅の漫画喫茶で寝て朝早くから作業にもどる人。家で寝るより学校で寝る方が多くなって、お風呂に入るために学校を降りて駅の銭湯に行くひと。学校の隣の寮に住んでいるはずなのに、わざわざ夜の学校にこたつを持ってやってくるひとたち……
 昼間、普通に過ごしている生徒たちは知らない夜の学校が、そこにはありました。わたしはいつもひとりで泊まっていたので誰かと共有することもなく、このことについてちゃんと話すのはこれがはじめてかもしれません。

 高校なので泊まってはいけないはずなのにいつも誰かがいて、おかしかったな。わたしは残って作業したいならみんなすればいいじゃない、と思っていたけれど、そういうのを嫌う人たちのほうが多かっただろうから、泊まっている人たちはそのことを特に誰にも言いません。確かにみんなが泊まってしまうようになったら普通に大問題だ。生徒の自主性を求めた結果、こっそり居残って徹夜で作業しちゃう子どもたちなんて。放課後の出来る範囲の時間でやればいいだけのことなのですが……日曜日まで学校に来て行事の準備して、なんて変な話です。働きすぎなのは教員ではなくこどもたちです。変な学校だな!
 教員もうすうす気づいているようで、夜の十一時半にわざわざ見回りに来たことがあります。でも、誰もいないのに一晩中体育館のドアが開いていて、電気も付いていたこともありました。これはなんかの罠なのか? と思いながらどきどきしたこともあった。明け方三時に電気の付いている体育館。逆に怖い。

 朝早く、眠そうに廊下を歩いていると、昨日泊まったの? と聞いてくる教員がいました。うん、寒かった、と答えると、言ってくれればうちに泊めたのに、との返事。ここは普通の中高一貫私立高校です。普通だったのか? なんだったんだ? たぶん普通じゃないな? あの学校で過ごした六年間は夢だったのかもしれない。わたしも今、書いていて、変な気分です。

 でも、こんなに面白かったこともいつか忘れちゃうかもしれないから書いておきます。わたしは家も厳しかったのでそんなに泊まったことはありませんが、夜の学校では色んな出来事があったんだろうなあ……
 家から電車とバスで一時間半かかる、山奥にある学校に通っていたときのことです。(たぶん今はもっと厳しいので、こんな学校じゃないと思います。わたしが入学する前はもっともっと色々な生徒がいたそうです。時代の波に揉まれて、創設者の理念も薄れて、学校という場所は常に変化し続けるのだと思います)

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