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自分の体を動かしている存在を感じた体験

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最近本当に疲れなくなって睡眠時間が減る、というのが起きています。
本当に睡眠時間が少なくなりすぎて逆に心配になったのですが、この心配している意識は完全に今までの分離の意識だな、ということに気づいてそれを手放しています。

そして先日の朝、とても不思議なことが起きました。朝やっぱり早く目覚めてしまい、でももう少し暖かい布団の中でゆっくりしていました。そしてこれから何をしたいかそこにフォーカス当ててみるか、と思ったら、あれやこれやとアイディアが湧き出て、いてもたってもいられなくなり、むくりと自分の体を起き上がらせた存在が私の中にいました。

私の体なのに、誰かが突き動かすような感覚。そしてそれが歩いて自分の体はそのままトイレに入っていきました。ものの数秒の出来事でしたが、その後思わず顔を手で覆って思わず涙が溢れていた自分がいました。

誰かが突き動かすという体験は今回が初めてで、自分が消えていくような怖さもあったのですが、不思議な安心感と私が一人ではない、という感覚がじんわりと広がっていきました。

ここに私がいた、今の私はやはり器なのだ、どっちも必要で、だから私はこのままでいいのだ、ということを気付かされました。

今までの私だったらその突き動かした存在(源の意識)をまた体験したい、そこに完全一致したい、とそこにしがみついていたと思います。

でも今の私はそのままの自分でいいという感覚がわかる、この器の自分を包括するその存在がある、が現実レベルで確信に変わって、だからこそそのままの私でいいのだ、器の私を信じるだけなんだ、と思えました。

そしてその後の変化が目覚ましいです。最近はとても大きな変化の中にいる、というのを感じていましたが、生きたい世界を生きるだけだったのだ、という感覚にいます。

今まではそんな世界ないのだから、実現するのは難しい、私には無理だ、そんなふうに思っていました。ですが今は「ない」と思っていたから「ない」世界に生きていたのだ、と腑に落ちています。

ずっと目覚めを進めていけば、ある世界が用意されると思っていました。素晴らしい世界、自分が満たされている世界、不満のない世界、そんなものがあると思っていました。

ですが実際に目の当たりにすると用意されるというよりも、なぜか内側の「ある」という世界を信じられて、それをただ生きたいと思える、意志がある、命が燃えている、そんな感覚があります。

誰かがそんな素晴らしい世界を用意してくれるのではなく、自分で手にする、自分の意志でその世界を生きたい、と思えるのです。これは自分自身が源に繋がった、というより繋がったことを思い出せた、というところが大きいでしょう。なので生きたい世界が思い浮かんだ時に自分にはできる、と思えます。

これまでそう思えなかったのは、思考がうるさすぎて疲れていたというのと、人間としての痛みをモロに受けていた、というのがあります。

思考がうるさすぎて、というのは私自身も無自覚でしたが、これがないだけで日々疲れがなくなり、淡々と過ごせるようになりました。そして次第に今までの自分のパターンを冷静に見つめることができ、その分離の意識も共存しつつも、内側のある、に意識が向けられるようになりました。

今まで分離の意識を消してしまおうと思っていたから辛い思いをしていました。でもそんな分離の意識があっても、ある世界を生きることは可能なのです(というより分離の意識は生存本能とリンクしているので、消すのはほぼ不可能と割り切った方が早いです、消したいなら死を克服するしかありません)。

そして私はいつも言っていますが、分離の意識といえどその人が感じている人間としての痛みを癒す時期はとても大切だと考えています。その時期がなければ本当は苦しいのにその気持ちを抑えつけてもっと頑張らなければ、と無理に自分を鼓舞してしまうからです(するとさらに傷は深くに埋まっていきます)。

また感情を感じるということ、思考を観察するということは私の日常でしたので、感情や思考がただ流れているだけ、やっぱりそのままでも大丈夫、と思えていました。


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