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海賊ブラッド短編集

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ラファエル・サバチニの名作『キャプテン・ブラッド』シリーズの外伝短編集。
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海賊ブラッド外伝~枢機卿の身代金(1)

 ローマ・カトリックの信仰で生まれ育ったキャプテン・ブラッドは、己が法の埒外で生きる身となってからも自らを旧教徒と見なす事をやめなかった。そのような彼がプロテスタントの闘士を助けた罪によりイングランドを追放された事、そしてスペイン軍からは火刑に処してしかるべき異端者と見なされている事はなんとも痛ましい皮肉であるのだが。  ある日の事、個人的な良心の呵責を理由にして、少しばかりの涜聖行為に目を瞑れば実現可能な容易かつ莫大な略奪計画に背を向けたキャプテン・ブラッドは、フランス人

海賊ブラッド外伝~枢機卿の身代金(2)

 全ての顛末を語り終えたウォーカーが口を閉じても、聞き手達は興奮と感慨によってしばし言葉もなかった。  ようやく吠えるような声で沈黙を破ったのはウォルヴァーストンだった。「カスティリャ野郎の悪どいやり口なんざ慣れっこのつもりだったが、こりゃガチで胸糞の悪い話だな。そのキャプテン・ジェネラル(司令官)にゃ船底くぐり[^1]をやらせたらいいんだ」 「なるたけじっくりと火炙りにしてやりたいね」イブレビルが言った。「そうでもしなきゃ、新キリスト教徒[^2]の豚は喰えないだろう」

海賊ブラッド外伝~枢機卿の身代金(3)

 彼等は結局、キャプテン・ブラッドが提案したようにスペインのカラック船を沈める事はしなかった。小さな北国から来た船乗りのけちな性分としては、そのような無駄遣いは考えただけで胸が悪くなったのだ。それと同時に、自分と手下達がイングランドに戻る足を確保しておきたかったという用心もある。結局の処、例え一部であれブラッドの作戦が不首尾に終わった場合には、提供を約束された大型船も空手形に終わるかもしれない。  とはいえ、それ以外の事柄はキャプテン・ブラッドが定めた通りに進んでいった。北

海賊ブラッド外伝~枢機卿の身代金(4)

 キャプテン・ブラッドの所業である、新スペインの大司教枢機卿に対する言語道断かつ罰当たりな狼藉についてのドン・ヒエロニモの報告によって、キャプテン・ジェネラル(司令官)ドン・ルイスは驚きと狼狽、そして恐れによる憤慨で一杯になったが、しかしその話の結びである己に対する召喚とその理由に駆り立てられて、今や閣下はほとんど超人的な活動に追われる事となった。彼がその召喚に応じるまでには四時間を要したのであるが、ようやくドン・ルイスがやって来た時には、既に普通のスペイン人が普通の状況で行

海賊ブラッド外伝~枢機卿の身代金(5)

 しかしアルカルデ(代官)と共にバージ(艦載艇)で陸へ戻る際、キャプテン・ジェネラル(司令官)は本音を漏らした。ドン・ルイスを真に駆り立てているもの、それは大司教枢機卿の救出よりも、彼のお株を奪って逆に打ちのめしてくれた厚かましい海賊めを叩き潰さんとする熱望だった。 「あの愚か者は金を受け取るだろう、それが奴にとって破滅の元になるだろうがな」  代官は悲観的に首を振った。「なんという法外な金額ですか!十万とは!」 「詮方ない事だ」ドン・ルイスの態度は、ブラッドを破滅させ

海賊ブラッド外伝(1)~カリブの砲声

ⅰ ピーター・ブラッドとの長い確執によって、キャプテン・イースタリングはジェレミー・ピットが書き残したこのクロニクルの中で重要な位置を占めている。イースタリングは、シンコ・ラガス号に乗ってバルバドスから逃亡した反逆流刑囚達[^1]が彼等の運命を形づくる為に運命の女神によって選ばれた道具と言えるだろう。  人生とは、か細い運命の糸の成すがままである。ある所定の瞬間に吹くように定められた風が、運命全体を大きく変えてしまう事もある。そして未だ流動的であったピーター・ブラッドの運命

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海賊ブラッド外伝(2)~宝物船サンタ・バルバラ号

 大きな企てを計画する能力、例えば好機を察知する勘や、その好機を如何にして掴むかを考え出す才覚ほど人の真価を示すものはない、というのがキャプテン・ブラッドの持論だった。  かの素晴らしきスペイン船シンコ・ラガス号を己が物とする際に、確かに彼は優れた才覚を見せ付け、そしてその雄大な船を彼から奪おうとした狡猾な海賊キャプテン・イースタリングの計略をくじく事によって再度その才を発揮していた。  一方、ブラッドとシンコ・ラガス号の危機一髪の逃亡は、トルトゥーガ水域には自分達にとっ

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海賊ブラッド外伝(10)~絞首台礁島

ⅰ『ギャロウズ・キー(絞首台礁島)』という名が、これから語る出来事にちなんでいるのか、あるいはそれより以前から船乗り達の間でそのように呼ばれていたのかについては、今となっては確かめようがない。ジェレミー・ピットの記録にはこの点に関する記述はなく、そして現在、問題の小島の正確な位置は特定不可能である。確認可能な事実とピットの筆によるアラベラ号の航海日誌を元に言えるのは、それがアルバカーキ礁島群を構成する島のひとつであり、ポルト・ベリョの約60マイル北西、北緯12度西経85度に位

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