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花と王様(BLANCA)

 近頃、銀獅子の王レーヴェ=エスペリアの親友はいたく花の名に詳しい。
 酒を嗜むとき、花瓶に飾られた白い花を見つけて、「あ、銀白華だ」といっぱしのことを言ってみたりする。意外に思ったレーヴェが、へーえ?と感心した相槌を打てば、「ねーレーン。もらってかえっていーい?」とすべらかな花びらをいとしむように撫でる。この男に花を愛でる趣味はなかったはずなのだが。苦笑交じりに、「いいぞ、いくらでも持ってけ」と手を振ると、彼は「ありがと、レーン」と笑みを蕩けさせた。
 彼の親友がこうしてときどき持って帰る花が、彼の言うところの『おひめさま』に捧げられるのをレーヴェは知っている。レーヴェが彼の『おひめさま』を見たのは一度きりだが、この様子だと、部屋中を花で埋め尽くされているのではなかろうか。花に埋もれてしまいそうなほど小さな少女だったのを思い出して、少し笑う。

 軍学校時代。リユン=サイは花を愛でるということをしなかった。
 頭のよい彼は周囲の少年たちよりも早熟で、どこか一歩引いてセカイを眺めているところがあり、彼らが夢中になるようには恋や女に熱を上げたりしなかった。夕方、街に繰り出して娘たちと遊ぶ。遊びは遊びであって、かわいいね、きれいだよ、そんな甘言すらも、戯れのひとつにしかならない。そういう遊びがいちばん得意なのはリユンだった。レーンはすぐに夢中になっちゃうからだめだね、と娘のひとりに熱を上げて無残にふられていた自分に、リユンは言った。すぐ周りが見えなくなっちゃうでしょう、あんた王様にむかないよ。
 幼かった。かっとなり、胸倉をつかんで少年の澄ました横面にこぶしを振った。確かにレーヴェはすぐに頭に血を上らせる。かっとなったり大喜びしたり、かと思えば急に悲しくなってふて寝を始めたりする。対するリユンは表面上は、嵐のない湖面のようだ。けれど本当に静かなだけの奴であれば、たとえ将来の見込みのない末席でも『王子様』を指してあんた王様にむかないよだなんて言わないであろうし、喧嘩を吹っかけてきた『王子様』を殴り返し、あまつさえ、完膚なきまでに打ちのめして勝利するなどという所業はしないだろう。彼はただ、男なら誰でも持っている猛獣を飼いならすのがとびきりうまいだけなのだ。
 街娘の鼻先でひらひら紙の造花を遊ばせつつ、まがいものの応酬を楽しんでいる彼を見て、いつかこいつが女に翻弄されて右往左往したらさぞ見ものだろうな、と殴られた頬の青痣をさすった。

 *

「じゃあ、お先帰るね。レーン。あとはイブに面倒みてもらいよ」

 七時を回った時計を確認すると、リユンはこの国の女宰相の名前を上げて早々と席を立った。先ほど残照の金の翳りをひそめていた王都の空はもうすっかり暗い。とはいえ、まだ夜の口だ。「もう?」といぶかしげな顔をしたレーヴェに、彼は「うん、だって」と花瓶からすくった花をひいらり振った。

「今ならまだ起きてる『おひめさま』に会えるもの。最近寝顔ばかりでさみしーの。やっぱり起きてわらってる『おひめさま』がいちばん可愛いじゃない?」

 話しながら『おひめさま』の顔でも思い浮かんだのか、いとしげに眦を細めて微笑む。まったくもって近頃の親友の『おひめさま』への入れ込みようには目を瞠る。そりゃあ僥倖だな、と笑って親友を送り出し、そのうち大きくなった『おひめさま』に翻弄されておまえも右往左往すればいい、とエスペリアの百獣の王は楽しく独り酒を汲んだ。

**2011.3.6 サイト20万hit企画より再掲

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