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読書の本質


はじめに断っておくが、これは暇人的読書の話である。本と言っても小説もあれば学術書、歴史書、ビジネス書などさまざまである。そしてそれらはそれぞれに読み方や役割が変わる。暇人が好むのは主に新書や学術書であり、ここで話すことは主にそれらについてのことである。あまりそういった気はないのだが、他の種類の本について否定しているように感じる箇所があれば先に謝っておく。

また、いつもは記事を速く読むために文中に太字を使っているが、今回は速さではなく、内容をしっかり理解する、つまりは熟読をしていただきたいため、敢えて効果は最小限に控える。



まず暇人はなぜ読書が好きなのか。なぜ読書を薦めるのか。それは、読書とは「人生の万能薬」だと確信しているからだ。なぜそう思うか。それを説明する前に、まずは日本の読書に対する現状を見ていこう。


読書の現状

平成30年の文部科学省の調査によると、16歳以上の男女の1ヵ月の平均読書量は

1冊以下:47.3%
1,2冊:37.6%
3,4冊:8.6%
5,6冊:3.2%
7冊以上:3.2%

となっている。つまりは約半数は1年に数冊しか本を読んでいないということになる。実際は年間10冊……いや、2、3冊も読んでいない人がほとんどなのではないだろうか。暇人が学生の頃も、授業などで必要なものを除くと年に2冊程度しか読んでいなかった。


そして上記の調査の「読書をすることの良いところは何だと思うか」といった問ではこのような選択肢が設けられている。(高いものから順に並べる)

・新しい知識や情報を得られること
・豊かな言葉や表現を学べること
・感性が豊かになること
・想像力や空想力を養うこと
・感動を味わえること
・楽しく時間を過ごせること
・内容を把握する力が付くこと
・他の人と話題の共有ができること
・趣味として誇れること
・流行に遅れずにいられること
・国語の成績が良くなること

また、現在の読書へのイメージについて個人的に調査したものを載せる。これは「良い悪い、合っている間違っているは気にしないで、個人的な読書に対してのイメージを正直に教えてください」と頼んで聞いたものであり、少し質問とずれているような回答もあるが、敢えてもらった答えのまま載せる。

・文才を養う
・読み書きを学ぶ
・作文力がつく
・語彙力があがる
・読書はただの知識で、経験の方が大事
・思考力を養う
・読書はしないが新聞を読んでいる
・認知症防止になる
・長い文章に慣れる
・喋る能力がつく
・嫌い
・めんどくさい
・マンガも嫌だ
・頭の良い人がしている

これは暇人の周りで調査しただけのものだが、一応10代~50代と年齢は幅広くとっている。また、ネットで言われているようなイメージと比較をしても大差はないことから、これがリアルな意見だと言ってもいいだろう。

しかし、きっと読まない人はこう思うだろう「なぜ読書をしないといけないの?今の時代かわりになるものなんてたくさんある」

だがここに大きな間違いがあるのだ。


まずここまでの調査の結果などからは「教養のため」「感受性のため」といったイメージが強いということがわかるだろう。

しかし、「教養のため」は別に読書でなくても構わない、今ではネットやYoutubeなどでも簡単に様々な知識を得ることができる。「感受性のため」も、漫画やアニメ、映画で身につけることができるだろう。

だがこの結果を見て、“本=小説や教科書”といったイメージなのではないか?と感じる。そういったものから得られるだろうことに印象が偏っているからだ。

もちろん、小説や教科書を否定するわけではないし、それらから得るものもたくさんある。だが、これは“読書”のアンケートであり、小説や教科書に限定したアンケートではない。つまりは一般的な読書のイメージから、小説、教科書以外のものが抜け落ちているのだと言える。

暇人はそこに現代の問題があると考えている。読書は「知識をつけるためだ」とか、「語彙力をつけるためだ」とか、ネットでは「いや違う、年収をあげるためだ」とか。暇人はそれらは読書に対しての冒涜のように思えてならない。読書は人生を豊かにするため、幸せに生きるため、人を助けるためにある。


結論から言うと、読書の本質は「能動性」にあり、また、読書は知識を得ることだと勘違いをされることが多いが、読書はれっきとした「経験」である。


読書とは

そのことを踏まえた上でまず暇人が考える読書の効用や、読書に対する意見を挙げる


・知識を得る
・集中力をあげる
・論理的思考を養う
・自信がつく
・考える力がつく、批判的思考
・創造力を鍛える
・思考の結合
・人を見る目がつく
・メタ認知能力を高める
・何に興味があるか
・何も知らないことを知る
・知ったつもりになれる
・他の意見を知る
・相手の立場に立って考える
・ネットより信頼性が高い
・ハウツー本では得られない
・能動的な作業
・思考の言語化


ざっと挙げただけでもこれだけのことがある。同じことでは?と思う箇所もあるかもしれないが、ここからひとつひとつ説明していく。だが、本来なら1項目につき記事を1つ書きたいくらいなので、ここでは主に簡単な説明だけにしておく。

【知識を得る】
まず、本を読むことによって得られるものとして、やはり知識は外せないだろう。知識を得ることによることの効果はやはり多く、他でもたくさん語られているのでここでは説明を省略する。

【集中力を高める】
本を読むには集中力が必要だ。いろいろと本を読んでいるうちに自分なりの、自分に合った集中の仕方、集中のスイッチの入れ方を学んでいく事ができる。

【論理的思考を養う】
論理的思考とは、理論がしっかりとしている、いわゆる客観的で筋の通った考え方だ。本は基本的にはちゃんと筋道がたてられていて、それを読み進みていくことになる。それを読んでいるうちに論理的な話の進め方を学ぶことができるのだ。また、本を読むときは色々なことを考えながら読む。だから、言ってしまえば別に理論的でない、筋の通っていない本を読んでもいい。それを突っ込みながら読み進めていく事もまた、論理的思考を鍛えることに繋がる。また、論理的思考は問題解決能力、プレゼン力、コミュニケーション能力、聴く力、伝える力の向上などが望まれる。


【自信がつく】
本を読むと、知識がつく。知識がつくと、それが自信になる。また、読書は簡単なものではない。慣れていても読むのに大変時間がかかってしまうこともある。それを読破した時の達成感の大きさが、そのまま自信につながる。それらはRPGで仲間が増えていくような感覚で、自分の後ろにいろんな本が自分の味方として付いてくれている、といった安心感を生む。
また、最近は読書をする人が減ったというように、読書をすることは今では珍しいこととなっている。こうした他人と違う知識や経験を得ることが、これもまた自信につながる。最近は“自己肯定感を高める方法”といったものがよく話題になるが、そんな変わったことをせずとも、読書をするのが一番手っ取り早く確実であるように思う。

【考える力がつく、批判的思考】
違う著者の同じジャンルの本をいくつか読んでいると、同じような情報を元にしているにもかかわらず、異なる見解を述べていたり、違う結論に行きついていることがある。そういったときにどっちの意見を支持するのか、得ている情報を元に、自分なりに考えることになる。それによって、自分で考える力が自然とつくようになり、また、「それは正しいのか?」「意見が偏ってないか?」などと批判的に読書をできるようになる。これができるようになると、ネットで拡散されるようなデマや、プロパガンダにも引っ掛かりづらくなる。また、これは論理的思考に繋がり、創造力も養われる。

【創造力を鍛える】
知識や考え方が増える。それはより多面的に物事を見られるようになるということであり、それは創造力の育成にもつながる。また、批判的思考がつくことによってすぐに物事を受け入れることなく、新しいことを生み出す機会が増える。

【思考の結合】
色々な本を読むと様々な知識や考え方が増えていく。それらは初めは独立している、またはその本の中で近くのものと隣り合っているだけなのだが、冊数を読んでいる内にふと、過去の思考とつながり合うことがある。この結合は新しい発見でもあり、創造である。この結合が自分の思考を作り上げていくもの、オリジナリティの元になる。

【人を見る目がつく】
本を読んで様々な力がつくと、相手が言っていることの筋の通ってなさ、矛盾点、間違っている部分などに気が付きやすくなる。それにより、この人は信用できる、できないなどの判断がより正確にできるようになる。

【メタ認知能力を高める】
メタ認知とは、自分を見るもうひとりの自分をつくる、というようなことである。その能力があがると、自分自身の思考や行動を正しく理解できるようになり、問題解決力や課題達成力が上がる。また、向上心や自信、自己肯定感を高めることにもつながる。

【何に興味があるか】
本をたくさん読んでいると、多くの情報目にする中で無意識に自然と飛ばしてしまう部分や、じっくりと読んでしまう部分が出てくる。それは自分の興味のあること、ないことを知ることでもあり、そうして自分の興味を認識できるようになるということは、夢や目的、目標をたてる際にも役に立つ。

【何も知らないことを知る】
物事を知るということは、知らなかったということを知るということだ。それは、知れば知るほど自分の無知に気が付いていき、知の大海を知るということである。それにより、知的探求心、知的好奇心を育むことができる。

【知ったつもりになれる】
本を読むといろいろと物事を知ったつもりになれる。こう聞くと「いいことではないじゃないか」と思うかもしれないが、ものは使いようで、知ったつもりになるという優越感は自信や行動にもつながり、結果的によい効果をもたらすこともある。知ったつもりになったことで新たなことを学ぼう、ということに繋がるのならば、大きな意味があるだろう。

【他の意見を知る】
色々な著者の本を読むということは、色々な意見、考えを知るということでもある。それが一見理解できないようなことでも、本であればその考えに至る道筋などが建てられていて、ただ聞くよりも納得をしやすい。すると「あの人はこういう理由でこういう意見だったな~」「あの本ではこんな例があったな」などと、多面的に物事をとらえられるようになる。また、多くの意見や考えに触れることにより、現実でも自分と異なる意見に出会った場合などに、余裕が生まれる。

【相手の立場に立って考える】
「他の意見を知る」より高い次元の考え方で、意見を知るだけではなく、その立場から物事を見られるようになる。例えば「あの人はこういう理由でこういう意見だったな~」が「あの人の立場で考えたらどうだろう」となり、「あの本ではこんな例があったな」というのは、「あの本にあった例で考えるとどうなるんだろう、他のこんな場合も考えられるな」となり、より多面的かつ立体的に物事をとらえることができるようになる。また、そういった考えをする癖がついていく。

【ネットより信頼性が高い】
文章を学べる、知識を得るというのは、何も本を読まなくてもネットの記事などでも十分だろう。そう思う人もいるかもしれない。しかし、大きく違うものがある。それは情報の“信頼性”だ。もちろん本にも間違っていることはあるし、誤字がある場合などもある。しかし、ネットの記事には速さが求められており、情報の確認が足りなかったり、校正が入っていない場合も多い。それにくらべて本は誰でも書けるわけではなく(事実としては誰でも書けるが、何万字と自分の文章を書ききれる人は限られる)、出版までに多くの人に触れ、多くの時間、お金をかけて作られている。そしてネットのように出してから後で修正しよう、なんてこともできない。もちろん本の内容や著者にもよるのだが、ネットに溢れる無数の記事とくらべると圧倒的に信頼度が高いというのはおわかりいただけるだろう。

【ハウツー本では得られない】
また、最近では「〇〇をしたら○○になる!」や「○○をするのに失敗しない5つの方法!」などといったハウツー本が流行っており、周りで読書している友達もそういった本を読んでいる人が多く、話題にも上がる。しかし、ハウツー本とは有意義なこともあるとは思うのだが、暇人が唱える読書とは大きく方向性が異なる。今までにも言ってきている通り、暇人的には読書とは“考える”ことに大きな意義がある。ハウツー本とはそこを飛ばして、“答えを求める”という作業になる。いや、個人個人にあった答えなんてそんな簡単にみつかるものではない。“答えのようなもの”を求めて安心しているだけのようにしか思えない。だが場合によってはそれで助けられる人もいるだろうし、有意義に扱える人もいるだろう。だがここでいう暇人的読書としては、あまりお勧めしない、といったことにしておく。

【能動的な作業】
暇人は読書の本質は能動性にあると考えている。例えば同じことを学ぶならオーディオブックやYouTubeでいいじゃないか、そう思う人が多いだろう。しかし、それらに能動性はない。もしくはあったとしても本ほど強くはない。本を読むには自ら腰を上げて動かないといけなく、また、最後まで読み切るためには自分の力でやり遂げ、理解するにはいったん立ち止まって考えなければいけないこともある。人に話してもらったり、動画を見るだけならば楽かもしれないが、そこに能動性は存在しない。能動性は学習全般に関わることであり、ここまでの効用すべてに関連してくる話になる。

【考えの言語化】
皆さんも自分の頭の中ではわかっている、いつも考えていることなのにうまく言葉に表せない、ということがあるだろう。しかし、例えば経済についての自分の言語化できていない考えがあるときに経済の本を読むと、読んでいる内にどんどんと頭の中で情報や思考が整理されていく。そしてそれらをまとめるにあたって足りなかった情報なども補足されていく。また、本を書いている人は大体は自分よりその分野に詳しい。そして時間やお金、気力をかけてその本を書きあげている。そういった人は自分の言語化できない思考をうまく言葉に置き替えて納得のいくように説明をしてくれている。いわば自分の意見を代わりに言語化してくれるのだ。


読書は人生の万能薬

はじめにも言ったが、読書は人生の万能薬である。
その理由は読書の本質の“能動性”にある。そして、読書を語る上では本の内容、いわゆる知識に焦点があてられるが、それよりもそこから得られる“経験”が大事なのである。
現代の読書は能動性を嫌い、受動的なものへと流れて言っているように思う。また、それは読書という“経験”をさらに遠ざけることになっている。
読書をする人が少なくなり、あの手この手で本へのきっかけを作ろうとしているのはわかるが、それが結果的に読書の本質から遠ざけてしまっている、つまりは読書の価値を下げてしまっているのでは、本末転倒ではないだろうか。
そしてこうした本質的な読書は多くの人の薬となり、人を助けることに繋がると信じている。

暇人は今後、その薬を広める活動をしていきたい。また、noteでは暇人的本の読み方なども書いていきたいと思う。


#本 #読書 #読書の本質

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