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もしたった一つのものしか所有できないとしたら

自分にとって「一番大切なもの」は何か?

を、ふと考える機会があったので、考えてみました。
が、なかなか難しい。

家の中を見渡すと、ひとりでは生きていけない小鳥が一羽いる。
いかん。この子以外を選ぶことなどできん。

……となるのは当然なので、小さき命は除くことにします。

小さき命の安全が確保された上で、たった一つのものしか所有できないとしたら、何を選ぶか。

最初は「家」とか「カバン」とか考えたんです。
でも、その中身は所有できない。

じゃあ暮らすための家具とか歯ブラシとかどうするんだ? って話ですが、それについては、

「所有できるたった一つのもの以外は、毎日別のものに入れ替わってしまう」

と定義することにしました。
なので、例えばどんなに座り心地のいいイスでも、明日には別のイスに変わってるわけです。

まあ、仕方ないか……。
と思えるなら、自分にとってイスは「たった一つ」のものではなかったということですね。

という考え方で進めていったら、ヒントが生まれました。

「一番大切なもの」をいきなり考えるのではなく、
「明日別のものに変わっていたら嫌だな」と思うものを考えるのはどうか。

いきなり結論ですが、
自分にとってこれは「」でした。

イスも、枕も、ペンでさえ、使うことができさえすれば、わたしは毎日変わってもいいです。むしろそれを楽しめる気がする。

でも靴は嫌でした。
相棒のような靴をたまたま最近買ったのです。体調を崩してあまり長く歩き続けられなくなったけれども、昔のようにどんどん歩けるようになるぞ! という意気込みで。

つまり、わたしは「歩くこと」を、無自覚ながらも大切に思っていた、ということです。

歩くのって……
毎日やるべきだとされていて……
ともすると、歩きたいという気持ちより「そうはいっても面倒」「天気悪いし」という気持ちが先行してしまいがちですが……

天災をはじめとした様々な原因で、明日全てを失うかもしれない昨今、わたしにとって「靴」つまり「歩くこと」はそれほどに大事なものなのだから、明日からは「歩くこと」をもっと大事に扱おう。

と思ったのでした。

赤レンガ倉庫のFLOWER GARDEN 2024

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